2021年令和3年 太平洋セメントwebポータル

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明治27年の日清戦争、そして明治37年の日露戦争で連勝し、勝利の美酒の味を知っていた日本は、第二次世界大戦(太平洋戦争)敗戦により痛手を負いました。

特別攻撃隊(特攻隊)とは、太平洋戦争の末期に旧日本陸海軍が体当たり戦法のために、特別に編制した部隊のことです。戦局が不利になってきた頃、軍首脳部は有効に敵艦に打撃を与える方法はこれ以外にないと判断し、爆弾を抱えた飛行機で米軍の戦艦に体当たりする自爆攻撃(特攻)を行うことを決めました。

昭和6年、原町は昭和の恐慌から脱却し地域を発展させるために、飛行場誘致活動を積極的に行いました。
活動から5年後の昭和11年11月4日、6機の飛行機を埼玉県の所沢飛行場から迎えて、雲雀ヶ原飛行場が開場しました。
翌年には県営飛行場として、昭和15年6月には陸軍の熊谷陸軍飛行学校(埼玉県)原町分教場として開場しました。
その後、茨城県内の各陸軍飛行学校に移管となり、昭和19年に鉾田(ほこた)教導飛行師団原町飛行隊と改称されました。
太平洋戦争末期の昭和20年には本土決戦特攻隊錬成基地として、陸軍特別攻撃隊原町飛行隊を編成し、若い飛行兵を次々と戦地に派遣しました。

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