2021年令和3年 櫻坂46 偶然の答え 歌詞

2021年令和3年 櫻坂46 偶然の答え 歌詞

松本は、1972年大晦日のバンド正式解散後に歌謡曲の世界に身を転じ、松田聖子をはじめとする膨大なヒット曲の数々で作詞家としての名を不動のものとし、今も変わることなく旺盛な仕事をされております。そんな松本隆の若き日の姿がここにあります。もっとも、私はバンド解散後の松本の仕事に詳しくはありません。かつての戦友3人に提供した歌詞を知るくらいです。因みに、解散後の松本以外の3人の音楽家の活動も、松本に劣らずに目覚ましいことを申し添えておかなければなりません(傑作『ロング・ヴァケイション』を生み出し数年前に鬼籍に入られた大滝詠一。「イエロー・マジック・オーケストラ」でのテクノ音楽により、世界のミュージックシーンを席巻した細野晴臣。天才ギタリストの名を欲しいままにし、名作『バンド・ワゴン』をものした鈴木茂)。

我が国では年末となると、まるで「年忘れ大感謝祭」の如くに、毎日のように『第9』演奏会が何処かで行われ、多くの聴衆を動員していると耳にします。自分自身は、若い頃に一度NHK交響楽団の演奏会に出かけたきりで、年末の『第9』演奏会とは無縁であります。「何も年末に挙って『第9』を聴く必然性も無かろう」という臍曲がりな理由でありますが、今や国民的年中行事と化していると言っても過言ではありますまい。コロナ禍の昨今でも、新聞には各オーケストラによる『第9』演奏会の広告が幾つも掲載されております。そもそも、世界中で年末にこれほど『第9』が演奏される国は他に何処にもありますまい。それにしても、何故、年末に『第9』が聴かれるのか不思議であります。この曲は「困難から勝利へ」という、この時代の交響曲に一般的であった構成原理に基づき作曲されており、4楽章の歌詞はフリードリヒ・フォン・シラー(1759~1805)『歓喜に寄す』によっております。その内容は「全人類が同胞となる」ことを基調とする、いわば汎世界的な平等理念を掲げたものです。ただ、「年末」という季節性とは全く無縁であります。そこで、まず『第9』成立の頃の話から始めたいと存じます。

何回か前の「館長メッセージ」で、千葉で営業をされていた「奈良屋」を取り上げ、何れ特別展を開催したいとの旨を書かせていただきました。しかし、博物館の展示で必要なのは「物」資料です。例えば、必ずあったであろう「奈良屋」の関連ポスター、広告チラシ(古くは「引札」と言いました)等々です。これは、恐らく新聞に挟まって各家庭に配布されたのではありますまいか。販売促進のためのグッズのようなもの(例えば〇京の店印が印刷された団扇)、商品包装用紙、手提袋等々、また「奈良屋」に御勤務されていた方が身につけていたであろう品々(例えば、制服や社員証等々)、店内を飾っていた「奈良屋」を示す看板のようなもの、店内の写真等々。挙げればきりがありません。こうしたものは、よほどの偶然がなければ保管されている方などおるまいと端から諦めておりました。ところが、それらを相当数大切に保管されている方がいらっしゃることが偶々わかったのです。「奈良屋」千葉店に関する資料は、七夕空襲での焼失を経ておりますので、戦前のものは殆ど存在しないことはわかっておりましたが、戦後のものであっても難しかろうと思っておりました。ですから、それを知ったときには正直狂喜乱舞いたしました。その場で、特別展開催の際には是非とも拝借させていただきたいとお願いをさせていただいたことは言うまでもありません。恐らく、これだけでも千葉における「奈良屋」の姿が具体的に我々の前に立ち現れることと存じます。

私を含めてですが、「自由」ということを「好き勝手にすること」と勘違いすることがあります。「個性尊重」の教育なども時にそれと混同されることがあるように感じます。小さな子どもが自由に絵を描いてピカソと同じような絵を描いても、それはその時だけの偶然であって、先への展開に大きな期待はできなかろうと思います。ピカソとポロックの対比からも明らかなように、個性は何もないところからは決して生まれてきません。すべては、基礎的な文化体系(知識技能)の習得から始まるのだと考えます。聞くところによれば、自由と個性を何より大切にするフランスの幼少期の公教育では、例えば「文字」の書き方の学習において、お手本と寸分違わずに書けるまで徹底的に訓練をするとのことです。最初から「自由に書いてみましょう」という、学びの本質を履き違えた教育でないことを知ることには大きな意義があると思います。「個性の発露とは基礎的な学びの上にこそあるもの」という、フランス教育の在り方に私は深く共感します。

「はっぴいえんど」という名のバンドに出会ったのはそんな頃でした。アルバム名は『風街(かぜまち)ろまん』(1971年初発)。私は、忽ちその音楽と詞の世界に魅了されました。とりわけ心の襞にぴたりと寄り添う歌詞の世界観に惹きつけられたのです。中学校1年生から洋楽に夢中となり、中3の頃には一端のビートルマニアでもありましたが、当時は歌詞の世界には全く無頓着でした。この和製バンドとの出会いは、歌詞を意識して音楽に接することの喜びを知る初めての経験となったのです。楽曲の作詞を一手に担っていたのは、バンドの一員としてドラムを叩いていた松本隆。都会の青年の空想の中に描かれる、この世ならぬ浮遊感のある心象風景。今でも余り使われない古風な語彙や言い回による、ちょっぴりぺダンティックば雰囲気。擬態語や「です」「ます」を多用する新鮮な語感等々、日本語の美しさと面白さとにすっかり心を奪われました。ただ、その時分には「何故この歌詞に心惹かれるのか」に思いを致すことはありませんでした。

SNSでもご購読できます。

RSS N21ニュースこんぴうた

コメントを残す

*

CAPTCHA