2021最新 岩崎恭子似てる

2021最新 岩崎恭子似てる

7月23日に開会式を終え、本格的に競技がスタートした東京五輪。24日には競泳が初日を迎え、各種目に多くの日本人選手が登場した。女子400メートルリレー予選では、白血病を克服して五輪の舞台に立った池江璃花子(ルネサンス)が第2泳者として出場。しかし、惜しくも全体の9位となり決勝進出を逃した。
大橋悠依(イトマン東進)が女子400メートル個人メドレー決勝に、武良竜也(ミキハウス)が男子100メートル平泳ぎ準決勝に進出を果たすなか、メダル獲得を期待されていた瀬戸大也(TEAMDAIYA)は得意の男子400メートル個人メドレーでまさかの予選敗退。幕開けから大波乱が起こった。
そんな初日を、1992年バルセロナ五輪の金メダリストで、現在は競泳の指導者・解説者として活動する岩崎恭子さんに振り返ってもらった。

決勝前の集合場所。予選では目もくれなかったノールが話しかけてきた。「グッドラック」。14歳を牽制(けんせい)したのだろうか。そんな駆け引きが、岩崎はうれしかった。「私、世界記録保持者に意識されているんだ」

1992年バルセロナ五輪200メートル平泳ぎ、競泳史上最年少14歳で金メダル獲得。名言として残るインタビューも相まって、一躍、時の人となった。引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学し、水泳・着衣泳のレッスンやイベント出演を通して水泳の楽しさを伝える活動をしている。

◇岩崎 恭子(いわさき・きょうこ)1978年(昭53)7月21日生まれ、静岡県沼津市出身の43歳。日大三島—日大。92年バルセロナ五輪で200メートル平泳ぎに出場し、競泳史上最年少金メダリストに。96年アトランタ五輪にも出場し、98年に現役引退。02年にはJOC海外指導者研修で留学を経験。JOCでは事業広報専門委員などを歴任した。現在は日本水泳連盟で競泳委員を務めている。

岩崎氏が出場した1992年のバルセロナオリンピック、1996年のアトランタオリンピックが開催された時代は、日本はまだまだ世界から水を開けられてしまっていた。選手たちの主な目標は『決勝進出』。世界と肩を並べ、メダル争いをするという気持ちを持つには、その差が大きすぎた。

東京オリンピックでは池江璃花子選手(スポーツ科学部3年)の泳ぎもそうだが、本学水泳部女子キャプテンを務める長谷川涼香選手(同4年)に注目する。中学生のときから長谷川選手を見てきたという岩崎氏は、「メダルを狙える実力を持っている選手。ぜひ自己ベストを更新して、世界だけじゃなく、日本もあっと驚かせてほしい」と期待を寄せる。

最初の種目(男子400メートル個人メドレー)で、瀬戸大也選手が決勝に残れないという予想もしていなかった事態が起きました。
レース展開をどう考えていたかは本人にしかわかりません。しかし、レース後のインタビューで語っていたように、予選で好記録を出したものの決勝では力を出し切れなかった前回のリオデジャネイロ大会のイメージがあったのでしょう。今回は、「予選で力をセーブして決勝に勝負を懸ける」という考えだったと思いますが、現実は勝負し切れず、その作戦ミスが命取りになりましたね。
本人いわく調子は悪くなかったようですし、実際にそういう印象を受けました。ただ、最後にペースを上げられなかったところを見ると絶好調ではなかった気はしますね。最後の自由形で追い上げられたときに、体が動けばそのまま逃げ切れる。だからやっぱり、「力を出し切れなかった」というのが正直なところだと思います。ラスト50メートルくらいまでは力をセーブしていたのが見ていてわかったので、「最終的に何がいけなかったのか」を本人も自問自答しているのではないでしょうか。
幸い、まだ2種目(200メートル個人メドレー、200メートルバタフライ)が残っています。過去に世界選手権でも似たような状況から優勝しているので、「切り替えができるタイプ」の選手です。起きてしまった結果は仕方がないですし、もう次を見据えるしかありません。私は彼のことを10代の頃から見てきましたが、「巻き返せる強さ」を持っている選手だと思っています。

選手として、また取材する側としてもオリンピックに関わった岩崎氏は、東京オリンピックの競泳に注目していると話す。
「昔と違って、金メダルを狙える選手たちがたくさんいる、というのはとてもうれしいですよね。ほかの選手たちも、世界一を狙えるチームにいる、という誇りを持って臨んでもらいたいな、と思っています」

そして、選手たちにも岩崎氏からアドバイス。

予選2位で決勝へ。にわかに慌ただしくなる周囲をよそに、岩崎は満足感に浸っていた。「目標も達成できたし、『もう、いいや』って」。元々、無印の存在。「五輪という大会の重みも知らず、メダルを取りたいという欲もなかった」

岩崎氏の友人に、オリンピックを見てアナウンサーになりたい、という夢を持ち、それを叶えた人もいるという。視野を広げてみると、オリンピックというものは、新たな経験や目標が見つかる可能性を秘めている。アスリートだけではなく、見る人の世界も広げてくれるもの。それがオリンピックなのだ。

自身の経験を多くの人に伝え、同じように、悩んでいる人たちの助けになりたい。それも岩崎氏がこれから取り組んでいきたいことの一つだ。

「東京開催が決まった2013年から、多くの方々がオリンピックに接することがあったと思います。なかには今まで取り上げられなかった問題も、地元開催のオリンピックだからこそ、スポーツで起こっていることを自分事として捉え、考えるきっかけになったんじゃないかと思っています。

私は92年のバルセロナ五輪で金メダルを獲りましたが、大会前には全く注目されていなくて、プレッシャーや邪念は全くありませんでした。でも次のアトランタ五輪は大会前から注目されて、結局100、200メートルとも決勝に残ることができませんでした。その時に一番感じたのは「注目される中でメダルを獲れる選手はどれだけ強いんだろう」ということでした。心技体の全てが備わっていないと重圧を乗り越えて栄冠を手にすることはできないんです。日本が発祥ということで常に周りから金メダルを求められる柔道はそれだけで大変だと思いますし、その中で9個も金メダルを獲ったのですから本当に凄いことだと思います。

だが、2000年のシドニーオリンピックで四つのメダルを獲得したことで日本も大きく前進。一気に世界との差を詰めていき、今では日本人選手同士で世界一を争うまでになった。

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