2021最新 岩崎恭子 タイム

2021最新 岩崎恭子 タイム

結果は、まず4日の100メートルバタフライで優勝。そのタイムは400メートルメドレーリレーの派遣標準記録を突破して、リレーメンバーでのオリンピック代表に内定しました。8日の100メートル自由形も優勝し、400メートルフリーリレーの代表にも内定。大会最終日には、50メートル自由形と、50メートルバタフライでも優勝し、大会4冠を達成しました。

金メダルという途轍もない光がもたらした色濃い影を知る岩崎。若い彼女は、オリンピックという舞台に、その壮大さと残酷さを教えられた。

ゲストはシドニーオリンピック競泳400mメドレーリレー銅メダル田中雅美さんとバルセロナオリンピック競泳200m平泳ぎ金メダル岩崎恭子さん。プロとの対決で勝利なるか!

それにしても、そのときの100メートルバタフライの記録が、59秒44。日本選手権での優勝タイムが57秒77なので、わずか1カ月あまりで、1秒67もタイムを縮めたことになります。これは競泳選手からしたら、驚くような数字です。

岩崎さんはバルセロナ大会競泳女子200メートル平泳ぎで14歳6日で金メダルを獲得。五輪メダリストとしての日本史上最年少記録を保持していたが、この日、西矢が13歳10カ月で金メダル獲得し、その記録を更新した。

1992年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎ金メダルの岩崎恭子氏(43)が、競泳女子の大橋悠依(25=イトマン東進)にさらなる期待を寄せた。
大橋は25日の400メートル個人メドレーで金メダルを獲得すると、28日の200メートル個人メドレーでも接戦を制した。夏季五輪の日本女子選手として初めて2冠を達成し「競泳は個人で何種目も出られる競技なので、チャンスがあるのはありがたいなと思います。ただ、史上初という実感がないのでビックリしています」と神妙に語っていた。
歴史に名を刻んだ大橋の泳ぎについて、岩崎氏は「本人も話していましたが、400(メートル個人メドレー)で勝ったことですごく余裕があったと思う。あとは作戦を立てる上で、非常に平井(伯昌)先生もしっかりとアドバイスしたと思うし、作戦はすごく当たっていた」と振り返った。
競泳女子界の歴史に新たなページを刻んだ大橋。来年5月には世界選手権(福岡)を控えていることから「追いかけられる立場になったと思うが、そこでもう一度2冠を達成してもらうと、またさらに強さを見せられるんじゃないかな」とエールを送った。

2019年2月に白血病を公表して闘病生活に入って以降、体重は最大で15キロ減って、退院後の筋力トレーニングでは、腕立て伏せを1回するのがやっとだった、と聞いています。それを考えると、まさに信じられないような復活劇です。

現実をしっかり見て、自分にはまだ足りないところがあって、世界とは差があることを理解していた。だからこそ、2018年のパンパシフィック選手権やアジア大会で金メダルを量産したとき、「東京五輪ではメダルを狙えるかも」と思ったのです。

7月23日に開会式を終え、本格的に競技がスタートした東京五輪。24日には競泳が初日を迎え、各種目に多くの日本人選手が登場した。女子400メートルリレー予選では、白血病を克服して五輪の舞台に立った池江璃花子(ルネサンス)が第2泳者として出場。しかし、惜しくも全体の9位となり決勝進出を逃した。
大橋悠依(イトマン東進)が女子400メートル個人メドレー決勝に、武良竜也(ミキハウス)が男子100メートル平泳ぎ準決勝に進出を果たすなか、メダル獲得を期待されていた瀬戸大也(TEAMDAIYA)は得意の男子400メートル個人メドレーでまさかの予選敗退。幕開けから大波乱が起こった。
そんな初日を、1992年バルセロナ五輪の金メダリストで、現在は競泳の指導者・解説者として活動する岩崎恭子さんに振り返ってもらった。

大阪出身で13歳の西矢椛(にしや・もみじ)が、スケートボード女子ストリートで、オリンピック史上初の金メダルを獲得した。これは、1992年バルセロナ大会の「競泳女子200メートル平泳ぎ」で優勝した岩崎恭子(当時14歳)を抜く、日本最年少のオリンピック王者だ。

最初の種目(男子400メートル個人メドレー)で、瀬戸大也選手が決勝に残れないという予想もしていなかった事態が起きました。
レース展開をどう考えていたかは本人にしかわかりません。しかし、レース後のインタビューで語っていたように、予選で好記録を出したものの決勝では力を出し切れなかった前回のリオデジャネイロ大会のイメージがあったのでしょう。今回は、「予選で力をセーブして決勝に勝負を懸ける」という考えだったと思いますが、現実は勝負し切れず、その作戦ミスが命取りになりましたね。
本人いわく調子は悪くなかったようですし、実際にそういう印象を受けました。ただ、最後にペースを上げられなかったところを見ると絶好調ではなかった気はしますね。最後の自由形で追い上げられたときに、体が動けばそのまま逃げ切れる。だからやっぱり、「力を出し切れなかった」というのが正直なところだと思います。ラスト50メートルくらいまでは力をセーブしていたのが見ていてわかったので、「最終的に何がいけなかったのか」を本人も自問自答しているのではないでしょうか。
幸い、まだ2種目(200メートル個人メドレー、200メートルバタフライ)が残っています。過去に世界選手権でも似たような状況から優勝しているので、「切り替えができるタイプ」の選手です。起きてしまった結果は仕方がないですし、もう次を見据えるしかありません。私は彼のことを10代の頃から見てきましたが、「巻き返せる強さ」を持っている選手だと思っています。

1992年バルセロナ五輪200メートル平泳ぎ、競泳史上最年少14歳で金メダル獲得。名言として残るインタビューも相まって、一躍、時の人となった。引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学し、水泳・着衣泳のレッスンやイベント出演を通して水泳の楽しさを伝える活動をしている。

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