2021最新 岩崎恭子 両親

2021最新 岩崎恭子 両親

だが、2000年のシドニーオリンピックで四つのメダルを獲得したことで日本も大きく前進。一気に世界との差を詰めていき、今では日本人選手同士で世界一を争うまでになった。

「東京開催が決まった2013年から、多くの方々がオリンピックに接することがあったと思います。なかには今まで取り上げられなかった問題も、地元開催のオリンピックだからこそ、スポーツで起こっていることを自分事として捉え、考えるきっかけになったんじゃないかと思っています。

中学2年生で金メダルを獲得し、一気に世間の注目を集めた岩崎氏。良いこともあったが、辛い思いも、イヤな思いもたくさん経験した。自分の気持ちを整理する方法が見つけられずイライラすることもあった。そんな経験が岩崎氏を文理学部心理学科に向かわせた。心理学を学ぶことで自分の心と向き合い、考えを整えることができた。

岩崎氏が出場した1992年のバルセロナオリンピック、1996年のアトランタオリンピックが開催された時代は、日本はまだまだ世界から水を開けられてしまっていた。選手たちの主な目標は『決勝進出』。世界と肩を並べ、メダル争いをするという気持ちを持つには、その差が大きすぎた。

岩崎さんは3姉妹の次女。3つ歳の離れた一番上の姉が水泳を習っていたことから、その影響で自身も5歳の頃より地元のスイミングスクールに通い始めたという。では、岩崎さんがスイミングを始める契機となったお姉さんは、何の影響で水泳を始めたのだろうか。

「1970年代頃から全国各地にスイミングスクールが爆発的に増え、姉が幼稚園生の頃はちょっとした水泳ブームだったんですよ。特に地元では、小学校に上がる前の子どもたちの半数はスイミングスクールに通ったことがあるというくらいメジャーな習い事だったので、姉が水泳を始めたのもごく自然な流れだったと思います。 それを促したのは、やはり両親ですね。姉は幼少期に身体が弱く喘息気味だったので、身体を鍛えるためというのが大きな理由だったと思います。それに体操とか水泳って、生後6ヶ月くらいから習い事として始める子もいるくらい、早い年齢からできるじゃないですか。立地的なことで言えば沼津市は海に面している地域なので、早い段階で泳ぎを習得したほうが何かと安心ですしね。 それで実際に姉はスイミングを始めたことで、身体が強くなったし風邪も引かなくなったんです。私は姉が大好きで、単純に姉と同じことをやりたいと思っていましたし、周りの友達の多くもスイミングスクールに通っていたので、自分自身が水泳を始めることに対して何の違和感もありませんでした。ちなみに静岡県は、戦後の水泳界で次々と世界記録を打ち立て“フジヤマのトビウオ”の異名を取った古橋廣之進さんの出身地。水泳にゆかりのある地域なのかもしれません」

東京オリンピックでは池江璃花子選手(スポーツ科学部3年)の泳ぎもそうだが、本学水泳部女子キャプテンを務める長谷川涼香選手(同4年)に注目する。中学生のときから長谷川選手を見てきたという岩崎氏は、「メダルを狙える実力を持っている選手。ぜひ自己ベストを更新して、世界だけじゃなく、日本もあっと驚かせてほしい」と期待を寄せる。

岩崎 恭子IWASAKI KYOKO
スイミングアドバイザー
静岡県沼津市出身。姉の影響で5歳よりスイミングスクールに通い始め、14歳で出場したバルセロナオリンピック(1992年)女子200m平泳ぎにおいて、競泳界史上最年少で金メダルを獲得。続くアトランタオリンピック(1996年)にも代表選手として選ばれ、2大会連続のオリンピック出場を果たした。1998年に現役を引退後、児童に向けた水泳の指導方法を学ぶためアメリカ留学なども経験する。現在は水泳の指導・水泳の楽しさを伝えるためのイベント出演などを中心としつつ、メディア・トークショー出演、執筆活動なども手がけている。シドニー・アテネ・北京・ロンドンオリンピックにおいては、オリンピアンの視点で現地の情報を発信するアスリートキャスターとしても活動した。2011年に第1子を出産、母親としても日々奮闘中。

岩崎さんが金メダルを獲得したのは「200m平泳ぎ」。平泳ぎの種目のなかでは最長のカテゴリだ。この泳法、距離に辿り着く過程というのは、意外なまでにシンプルなものだった。

今回のゲストは、元競泳選手の岩崎恭子さんです。1992年、14歳で出場したバルセロナオリンピックで金メダルを獲得。競泳史上及び日本五輪史上最年少での金メダルという快挙を成し遂げた“レジェンド”です。

中学2年生、競泳史上最年少となる14歳と6日目にして夏季オリンピック金メダルを獲得し、一躍時の人となった岩崎恭子さん。バルセロナオリンピックの「競泳女子200m平泳ぎ」で1992年7月27日に樹立したその最年少記録は、世界競泳において22年経った今も破られていない。また、日本選手団は過去に夏季オリンピックで個人・団体合わせて130個の金メダルを獲得してきたが、その受賞者のなかにおいても最年少だ。そんな今なお燦然と輝く偉業を成し遂げた岩崎さんに、2度のオリンピック経験を経て感じたこと、水泳を通じて見えてきたことなどを語って頂いた。

◆岩崎恭子の92年バルセロナ五輪 競泳女子200メートル平泳ぎで優勝。2分27秒78の日本新で決勝進出。決勝ではゴール前で世界記録保持者アニタ・ノール(米国)を抜き2分26秒65をマーク。「今まで生きてきた中で一番幸せです」のコメントも話題となった。

岩崎氏の友人に、オリンピックを見てアナウンサーになりたい、という夢を持ち、それを叶えた人もいるという。視野を広げてみると、オリンピックというものは、新たな経験や目標が見つかる可能性を秘めている。アスリートだけではなく、見る人の世界も広げてくれるもの。それがオリンピックなのだ。

自身の経験を多くの人に伝え、同じように、悩んでいる人たちの助けになりたい。それも岩崎氏がこれから取り組んでいきたいことの一つだ。

岩崎氏は「地元で聖火をつなげたいという気持ちがあったので、とてもうれしかった」と6月24日に地元の静岡県沼津市で聖火ランナーを務めた。

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