2021最新 岩崎恭子 両親

2021最新 岩崎恭子 両親

だが、2000年のシドニーオリンピックで四つのメダルを獲得したことで日本も大きく前進。一気に世界との差を詰めていき、今では日本人選手同士で世界一を争うまでになった。

「東京開催が決まった2013年から、多くの方々がオリンピックに接することがあったと思います。なかには今まで取り上げられなかった問題も、地元開催のオリンピックだからこそ、スポーツで起こっていることを自分事として捉え、考えるきっかけになったんじゃないかと思っています。

中学2年生で金メダルを獲得し、一気に世間の注目を集めた岩崎氏。良いこともあったが、辛い思いも、イヤな思いもたくさん経験した。自分の気持ちを整理する方法が見つけられずイライラすることもあった。そんな経験が岩崎氏を文理学部心理学科に向かわせた。心理学を学ぶことで自分の心と向き合い、考えを整えることができた。

岩崎氏が出場した1992年のバルセロナオリンピック、1996年のアトランタオリンピックが開催された時代は、日本はまだまだ世界から水を開けられてしまっていた。選手たちの主な目標は『決勝進出』。世界と肩を並べ、メダル争いをするという気持ちを持つには、その差が大きすぎた。

岩崎さんは3姉妹の次女。3つ歳の離れた一番上の姉が水泳を習っていたことから、その影響で自身も5歳の頃より地元のスイミングスクールに通い始めたという。では、岩崎さんがスイミングを始める契機となったお姉さんは、何の影響で水泳を始めたのだろうか。

「1970年代頃から全国各地にスイミングスクールが爆発的に増え、姉が幼稚園生の頃はちょっとした水泳ブームだったんですよ。特に地元では、小学校に上がる前の子どもたちの半数はスイミングスクールに通ったことがあるというくらいメジャーな習い事だったので、姉が水泳を始めたのもごく自然な流れだったと思います。 それを促したのは、やはり両親ですね。姉は幼少期に身体が弱く喘息気味だったので、身体を鍛えるためというのが大きな理由だったと思います。それに体操とか水泳って、生後6ヶ月くらいから習い事として始める子もいるくらい、早い年齢からできるじゃないですか。立地的なことで言えば沼津市は海に面している地域なので、早い段階で泳ぎを習得したほうが何かと安心ですしね。 それで実際に姉はスイミングを始めたことで、身体が強くなったし風邪も引かなくなったんです。私は姉が大好きで、単純に姉と同じことをやりたいと思っていましたし、周りの友達の多くもスイミングスクールに通っていたので、自分自身が水泳を始めることに対して何の違和感もありませんでした。ちなみに静岡県は、戦後の水泳界で次々と世界記録を打ち立て“フジヤマのトビウオ”の異名を取った古橋廣之進さんの出身地。水泳にゆかりのある地域なのかもしれません」

東京オリンピックでは池江璃花子選手(スポーツ科学部3年)の泳ぎもそうだが、本学水泳部女子キャプテンを務める長谷川涼香選手(同4年)に注目する。中学生のときから長谷川選手を見てきたという岩崎氏は、「メダルを狙える実力を持っている選手。ぜひ自己ベストを更新して、世界だけじゃなく、日本もあっと驚かせてほしい」と期待を寄せる。

岩崎 恭子IWASAKI KYOKO
スイミングアドバイザー
静岡県沼津市出身。姉の影響で5歳よりスイミングスクールに通い始め、14歳で出場したバルセロナオリンピック(1992年)女子200m平泳ぎにおいて、競泳界史上最年少で金メダルを獲得。続くアトランタオリンピック(1996年)にも代表選手として選ばれ、2大会連続のオリンピック出場を果たした。1998年に現役を引退後、児童に向けた水泳の指導方法を学ぶためアメリカ留学なども経験する。現在は水泳の指導・水泳の楽しさを伝えるためのイベント出演などを中心としつつ、メディア・トークショー出演、執筆活動なども手がけている。シドニー・アテネ・北京・ロンドンオリンピックにおいては、オリンピアンの視点で現地の情報を発信するアスリートキャスターとしても活動した。2011年に第1子を出産、母親としても日々奮闘中。

岩崎さんが金メダルを獲得したのは「200m平泳ぎ」。平泳ぎの種目のなかでは最長のカテゴリだ。この泳法、距離に辿り着く過程というのは、意外なまでにシンプルなものだった。

今回のゲストは、元競泳選手の岩崎恭子さんです。1992年、14歳で出場したバルセロナオリンピックで金メダルを獲得。競泳史上及び日本五輪史上最年少での金メダルという快挙を成し遂げた“レジェンド”です。

中学2年生、競泳史上最年少となる14歳と6日目にして夏季オリンピック金メダルを獲得し、一躍時の人となった岩崎恭子さん。バルセロナオリンピックの「競泳女子200m平泳ぎ」で1992年7月27日に樹立したその最年少記録は、世界競泳において22年経った今も破られていない。また、日本選手団は過去に夏季オリンピックで個人・団体合わせて130個の金メダルを獲得してきたが、その受賞者のなかにおいても最年少だ。そんな今なお燦然と輝く偉業を成し遂げた岩崎さんに、2度のオリンピック経験を経て感じたこと、水泳を通じて見えてきたことなどを語って頂いた。

◆岩崎恭子の92年バルセロナ五輪 競泳女子200メートル平泳ぎで優勝。2分27秒78の日本新で決勝進出。決勝ではゴール前で世界記録保持者アニタ・ノール(米国)を抜き2分26秒65をマーク。「今まで生きてきた中で一番幸せです」のコメントも話題となった。

岩崎氏の友人に、オリンピックを見てアナウンサーになりたい、という夢を持ち、それを叶えた人もいるという。視野を広げてみると、オリンピックというものは、新たな経験や目標が見つかる可能性を秘めている。アスリートだけではなく、見る人の世界も広げてくれるもの。それがオリンピックなのだ。

自身の経験を多くの人に伝え、同じように、悩んでいる人たちの助けになりたい。それも岩崎氏がこれから取り組んでいきたいことの一つだ。

岩崎氏は「地元で聖火をつなげたいという気持ちがあったので、とてもうれしかった」と6月24日に地元の静岡県沼津市で聖火ランナーを務めた。

2021最新 岩崎恭子 パレード

2021最新 岩崎恭子 パレード

最後まで自然体を貫いた。五輪という大舞台でも「そんなに変わらなかったです」。金メダルを争った中山楓奈(16=ムラサキスポーツ)の最後の演技の際には「乗ってほしいけど、乗ってほしくないみたいな気持ちだった」と負けん気の強さをのぞかせた。一方で、中山とは競技中に「ラスカルの話をしていました。スケボーの話とは全然違います」と強心臓ぶりも発揮。さらに、友人らに向けて「頑張って金メダル取ったよ~」と報告し、岩崎氏の最年少記録を更新したことに「最新記録だと思うんですよ」と話すなど、初々しい姿が何度も見受けられた。

岩崎さんは走行後のイベントで「29年前は金メダル獲得後に市内をパレードした」と思い出を披露。聖火ランナーとして凱旋できたことを「大変うれしく思う」とし、「7月23日に国立競技場で聖火が無事ともることを願っています」と締めくくった。

▽岩崎金メダルVTR 92年4月の全日本選手権で姉を下して100メートル、200メートルの平泳ぎでバルセロナ五輪代表入り。本番は200メートル予選で全体2位で決勝進出。決勝は世界記録保持者のアニタ・ノール(米国)をゴール寸前で逆転し、2分26秒65の五輪記録で優勝した。14歳と6日は当時日本史上最年少の五輪メダリスト。「今まで生きてた中で、一番幸せです!」というコメントはスポーツ史に残る“名セリフ”となった。

92年バルセロナ大会で競泳200メートル平泳ぎを14歳で制した岩崎恭子さん(43)が新たな日本の最年少金メダリストの誕生を喜んだ。26日夕方に自身のインスタグラムを更新し、自身の記録を抜く西矢の快挙を「金メダル獲得おめでとうございます。13歳での獲得!本当にすごい!」と祝福。07年に生まれた少女の偉業達成に「本当にすごい!巻き返し!そして堂々たる姿!とてもカッコよかったです!」と大絶賛した。

東京五輪の聖火リレーは24日午後も静岡県で続き、1992年バルセロナ五輪競泳の金メダリスト岩崎恭子さん(42)が、故郷の沼津市を走った。
岩崎さんは走行後のイベントで「29年前は金メダル獲得後に市内をパレードした」と思い出を披露。聖火ランナーとして凱旋できたことを「大変うれしく思う」とし、「7月23日に国立競技場で聖火が無事ともることを願っています」と締めくくった。
5人制サッカー(視覚障害)でパラリンピック出場が見込まれる田中章仁さん(43)は「こんな競技があるということを多くの人に知ってもらいたくて」リレーに参加。笑顔で焼津市を走った。

東京五輪の聖火リレーは24日午後も静岡県で続き、1992年バルセロナ五輪競泳の金メダリスト岩崎恭子さん(42)が、故郷の沼津市を走った。

1992年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎ金メダルの岩崎恭子氏(43)が、競泳女子の大橋悠依(25=イトマン東進)にさらなる期待を寄せた。
大橋は25日の400メートル個人メドレーで金メダルを獲得すると、28日の200メートル個人メドレーでも接戦を制した。夏季五輪の日本女子選手として初めて2冠を達成し「競泳は個人で何種目も出られる競技なので、チャンスがあるのはありがたいなと思います。ただ、史上初という実感がないのでビックリしています」と神妙に語っていた。
歴史に名を刻んだ大橋の泳ぎについて、岩崎氏は「本人も話していましたが、400(メートル個人メドレー)で勝ったことですごく余裕があったと思う。あとは作戦を立てる上で、非常に平井(伯昌)先生もしっかりとアドバイスしたと思うし、作戦はすごく当たっていた」と振り返った。
競泳女子界の歴史に新たなページを刻んだ大橋。来年5月には世界選手権(福岡)を控えていることから「追いかけられる立場になったと思うが、そこでもう一度2冠を達成してもらうと、またさらに強さを見せられるんじゃないかな」とエールを送った。

2021最新 岩崎恭子 プロフィール

2021最新 岩崎恭子 プロフィール

表彰台に上がった3人の平均年齢は14歳191日で、五輪史上最年少となった。最も若い金メダリストは、1936年ベルリン大会の飛板飛込のマージョリー・ゲストリング(13歳267日)で、西矢より63日先んじている。レアウが優勝していれば、13歳203日で最年少記録の更新だった。

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岩崎恭子さんは報道を認め、離婚を発表。現在は、シングルマザーとして娘の養育を優先しているようですね。

家族を巻き込んでしまった申し訳なさは、特に姉の敬子さんに対して感じていたことを、2020年に公開された『文芸春秋degital』において赤裸々に明かされています。

若いエースの台頭に地元は湧いたものの、岩崎恭子さんの家族は複雑な思いだったようです。

しかし、そんな岩崎恭子さんの思いとは別に、周囲の姉妹を見る目が大きく変わったのです。

さらに西矢選手はバルセロナオリンピックで金メダルを獲得した岩崎恭子選手の年齢を更新しました。

金メダルが嬉しいという岩崎恭子さんの気持ちは、数日後に帰国した後から徐々に薄れていき、辛い気持ちへと変わっていきました。

代表選手から落ちてしまったことで、岩崎恭子さんはジュニア世代が集まる合宿に参加しました。遠征先は、奇しくも初めての海外遠征先であるサンタクララという場所でした。

次々にやってくる想像を超えた人気ぶりに、岩崎恭子さんは追い付かなくなったそうです。

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姉の敬子さんが実力者であることには間違いありませんでしたが、バルセロナ五輪の後は「岩崎敬子」ではんく、「岩崎恭子の姉」という目で常に見られるようになりました。

この記事では岩崎姉妹についてや離婚の詳細についてまとめていきます。

これからも岩崎恭子さんの活動を応援しましょう。

私は92年のバルセロナ五輪で金メダルを獲りましたが、大会前には全く注目されていなくて、プレッシャーや邪念は全くありませんでした。でも次のアトランタ五輪は大会前から注目されて、結局100、200メートルとも決勝に残ることができませんでした。その時に一番感じたのは「注目される中でメダルを獲れる選手はどれだけ強いんだろう」ということでした。心技体の全てが備わっていないと重圧を乗り越えて栄冠を手にすることはできないんです。日本が発祥ということで常に周りから金メダルを求められる柔道はそれだけで大変だと思いますし、その中で9個も金メダルを獲ったのですから本当に凄いことだと思います。

2021最新 岩崎恭子 オリンピック タイム

2021最新 岩崎恭子 オリンピック タイム

7月23日に開幕した東京オリンピックは連日、日本勢が金メダルを獲得している。

アーティスティックスイミングは音楽に合わせてプールのなかでさまざまな動きや演技を披露し、技の完成度や一体感、構成、表現力などの得点で競う。2017年7月に国際水泳連盟が種目名を変更するまでは「シンクロナイズドスイミング」と呼ばれていた。オリンピックでは女子のみ実施され、2分20〜50秒の曲に決まった8つの動きを入れる「テクニカルルーティン」と、3〜4分の曲の中で自由に演技する「フリールーティン」が行われる。

1992年バルセロナ五輪200メートル平泳ぎ、競泳史上最年少14歳で金メダル獲得。名言として残るインタビューも相まって、一躍、時の人となった。引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学し、水泳・着衣泳のレッスンやイベント出演を通して水泳の楽しさを伝える活動をしている。

西矢の13歳でのメダル獲得は、日本の最年少記録。これまでは、1992年バルセロナ五輪の競泳女子200メートル平泳ぎで金メダルを取った、岩崎恭子の14歳が最年少だった。

なるほど、これが菅義偉政権の狙いなのだろう。菅首相はワクチン接種のスピードを上げることで新型コロナを収束に向かわせるとともに、東京オリンピック・パラリンピックを成功させ、その成功をテコに自民党総裁選と衆院総選挙に勝って首相を続投することを目指している。

7月23日に開会式を終え、本格的に競技がスタートした東京五輪。24日には競泳が初日を迎え、各種目に多くの日本人選手が登場した。女子400メートルリレー予選では、白血病を克服して五輪の舞台に立った池江璃花子(ルネサンス)が第2泳者として出場。しかし、惜しくも全体の9位となり決勝進出を逃した。
大橋悠依(イトマン東進)が女子400メートル個人メドレー決勝に、武良竜也(ミキハウス)が男子100メートル平泳ぎ準決勝に進出を果たすなか、メダル獲得を期待されていた瀬戸大也(TEAMDAIYA)は得意の男子400メートル個人メドレーでまさかの予選敗退。幕開けから大波乱が起こった。
そんな初日を、1992年バルセロナ五輪の金メダリストで、現在は競泳の指導者・解説者として活動する岩崎恭子さんに振り返ってもらった。

日本の最高成績は、1936年に行われたベルリン五輪の男子飛板飛込で柴原恒雄、女子高飛込で大沢礼子が記録した4位入賞だ。2016年のリオデジャネイロ五輪では、板橋美波が女子高飛込で8位入賞を果たした。2018年に行われたアジア競技大会の男子3メートルシンクロナイズドダイビングで銅メダルを獲得した寺内健・坂井丞ペアも力をつけてきている。東京五輪では、2008年北京五輪で全8種目中7種目を制した中国や、4回転半を飛ぶ欧米勢によるレベルの高い争いに食い込み、日本飛び込み界初のメダル獲得に期待が集まる。

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周囲から心無い言葉を浴びせられることもあり、金メダルを獲った事を後悔したこともあったという岩崎さん。番組では、そんな「金メダルの光と影」を追うとともに、一児の母として仕事と育児を両立させる彼女の「今」に密着。苦しかった日々を乗り越え、笑顔と自信の大切さに気付いた岩崎さんの「生きる原動力」と「一番の幸せ」に迫ります。

驚いたのが、新種目のスケートボード女子ストリートでの日本史上最年少の金メダル。記者会見で「(ご褒美は)焼き肉です」と笑顔を見せた中学1年の西矢椛は、13歳10カ月26日での金メダル獲得だった。1992年のバルセロナ五輪の競泳女子200メートル平泳ぎを14歳6日で金メダルを獲得した岩崎恭子を抜いた。

1992年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎ金メダルの岩崎恭子氏(43)が、競泳女子の大橋悠依(25=イトマン東進)にさらなる期待を寄せた。
大橋は25日の400メートル個人メドレーで金メダルを獲得すると、28日の200メートル個人メドレーでも接戦を制した。夏季五輪の日本女子選手として初めて2冠を達成し「競泳は個人で何種目も出られる競技なので、チャンスがあるのはありがたいなと思います。ただ、史上初という実感がないのでビックリしています」と神妙に語っていた。
歴史に名を刻んだ大橋の泳ぎについて、岩崎氏は「本人も話していましたが、400(メートル個人メドレー)で勝ったことですごく余裕があったと思う。あとは作戦を立てる上で、非常に平井(伯昌)先生もしっかりとアドバイスしたと思うし、作戦はすごく当たっていた」と振り返った。
競泳女子界の歴史に新たなページを刻んだ大橋。来年5月には世界選手権(福岡)を控えていることから「追いかけられる立場になったと思うが、そこでもう一度2冠を達成してもらうと、またさらに強さを見せられるんじゃないかな」とエールを送った。

最初の種目(男子400メートル個人メドレー)で、瀬戸大也選手が決勝に残れないという予想もしていなかった事態が起きました。
レース展開をどう考えていたかは本人にしかわかりません。しかし、レース後のインタビューで語っていたように、予選で好記録を出したものの決勝では力を出し切れなかった前回のリオデジャネイロ大会のイメージがあったのでしょう。今回は、「予選で力をセーブして決勝に勝負を懸ける」という考えだったと思いますが、現実は勝負し切れず、その作戦ミスが命取りになりましたね。
本人いわく調子は悪くなかったようですし、実際にそういう印象を受けました。ただ、最後にペースを上げられなかったところを見ると絶好調ではなかった気はしますね。最後の自由形で追い上げられたときに、体が動けばそのまま逃げ切れる。だからやっぱり、「力を出し切れなかった」というのが正直なところだと思います。ラスト50メートルくらいまでは力をセーブしていたのが見ていてわかったので、「最終的に何がいけなかったのか」を本人も自問自答しているのではないでしょうか。
幸い、まだ2種目(200メートル個人メドレー、200メートルバタフライ)が残っています。過去に世界選手権でも似たような状況から優勝しているので、「切り替えができるタイプ」の選手です。起きてしまった結果は仕方がないですし、もう次を見据えるしかありません。私は彼のことを10代の頃から見てきましたが、「巻き返せる強さ」を持っている選手だと思っています。

たとえ東京五輪でメダル獲得が続いても決して忘れてはならない。東京オリンピックの開催中も新型コロナの感染は増え続け、緊急事態宣言下であることに変わりはない。金メダル獲得を喜ぶ声が上る一方で、重症化して苦しむ患者や、軽症で隔離状態となる感染者は多い。なかには運悪く死亡する人もいる。医療の逼迫ひっぱくも懸念される。

表彰台に上がった3人の平均年齢は14歳191日で、五輪史上最年少となった。最も若い金メダリストは、1936年ベルリン大会の飛板飛込のマージョリー・ゲストリング(13歳267日)で、西矢より63日先んじている。レアウが優勝していれば、13歳203日で最年少記録の更新だった。

水球は1860年代のイギリスで発祥した。プールで行われる唯一の球技種目で、男子は1900年のパリ五輪から、女子は2000年のシドニー五輪から実施されている。1チーム7人で、水深2メートル以上のプール内につくられた縦30メートル、横20メートルのコートで2チームがゴールにボールを投げ入れ合って得点を競う。ボールを持つ選手に対しては、激しいコンタクトプレーも認められており、「水中の格闘技」と称されるほど激しいスポーツでもある。スピーディーな試合展開や多彩な戦術も見どころの一つだ。

2021最新 岩崎恭子 オリンピック

2021最新 岩崎恭子 オリンピック

Tokyo 2020 JAPAN HOUSEは、江陵アイスアリーナ、江陵スピードスケート競技場、江陵ホッケーセンター、江陵カーリングセンターで構成されている江陵オリンピックパークで開催中。オリンピック期間・パラリンピック期間に、一般の方々もお楽しみいただけるコンテンツをご用意していますので、ぜひお立ち寄りください。

最初の種目(男子400メートル個人メドレー)で、瀬戸大也選手が決勝に残れないという予想もしていなかった事態が起きました。
レース展開をどう考えていたかは本人にしかわかりません。しかし、レース後のインタビューで語っていたように、予選で好記録を出したものの決勝では力を出し切れなかった前回のリオデジャネイロ大会のイメージがあったのでしょう。今回は、「予選で力をセーブして決勝に勝負を懸ける」という考えだったと思いますが、現実は勝負し切れず、その作戦ミスが命取りになりましたね。
本人いわく調子は悪くなかったようですし、実際にそういう印象を受けました。ただ、最後にペースを上げられなかったところを見ると絶好調ではなかった気はしますね。最後の自由形で追い上げられたときに、体が動けばそのまま逃げ切れる。だからやっぱり、「力を出し切れなかった」というのが正直なところだと思います。ラスト50メートルくらいまでは力をセーブしていたのが見ていてわかったので、「最終的に何がいけなかったのか」を本人も自問自答しているのではないでしょうか。
幸い、まだ2種目(200メートル個人メドレー、200メートルバタフライ)が残っています。過去に世界選手権でも似たような状況から優勝しているので、「切り替えができるタイプ」の選手です。起きてしまった結果は仕方がないですし、もう次を見据えるしかありません。私は彼のことを10代の頃から見てきましたが、「巻き返せる強さ」を持っている選手だと思っています。

実は、オリジナルは高校時代に聞いた歌手高石ともやの詩。「ここまで頑張った自分をほめてください」のフレーズに感動し「いつか使える時が来たら使いたい」と思って、心の中に置いてあった。それが、あの瞬間に口をついだのだ。

岩崎さんは3姉妹の次女。3つ歳の離れた一番上の姉が水泳を習っていたことから、その影響で自身も5歳の頃より地元のスイミングスクールに通い始めたという。では、岩崎さんがスイミングを始める契機となったお姉さんは、何の影響で水泳を始めたのだろうか。

中学2年生、競泳史上最年少となる14歳と6日目にして夏季オリンピック金メダルを獲得し、一躍時の人となった岩崎恭子さん。バルセロナオリンピックの「競泳女子200m平泳ぎ」で1992年7月27日に樹立したその最年少記録は、世界競泳において22年経った今も破られていない。また、日本選手団は過去に夏季オリンピックで個人・団体合わせて130個の金メダルを獲得してきたが、その受賞者のなかにおいても最年少だ。そんな今なお燦然と輝く偉業を成し遂げた岩崎さんに、2度のオリンピック経験を経て感じたこと、水泳を通じて見えてきたことなどを語って頂いた。

7月23日に開会式を終え、本格的に競技がスタートした東京五輪。24日には競泳が初日を迎え、各種目に多くの日本人選手が登場した。女子400メートルリレー予選では、白血病を克服して五輪の舞台に立った池江璃花子(ルネサンス)が第2泳者として出場。しかし、惜しくも全体の9位となり決勝進出を逃した。
大橋悠依(イトマン東進)が女子400メートル個人メドレー決勝に、武良竜也(ミキハウス)が男子100メートル平泳ぎ準決勝に進出を果たすなか、メダル獲得を期待されていた瀬戸大也(TEAMDAIYA)は得意の男子400メートル個人メドレーでまさかの予選敗退。幕開けから大波乱が起こった。
そんな初日を、1992年バルセロナ五輪の金メダリストで、現在は競泳の指導者・解説者として活動する岩崎恭子さんに振り返ってもらった。

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バルセロナオリンピック200m平泳ぎ金メダリストで、現在はスイミングアドバイザー/スポーツコメンテーターとして活躍中の岩崎恭子さんが江陵オリンピックパークのTokyo 2020 JAPAN HOUSEに来場しました。

岩崎 恭子IWASAKI KYOKO
スイミングアドバイザー
静岡県沼津市出身。姉の影響で5歳よりスイミングスクールに通い始め、14歳で出場したバルセロナオリンピック(1992年)女子200m平泳ぎにおいて、競泳界史上最年少で金メダルを獲得。続くアトランタオリンピック(1996年)にも代表選手として選ばれ、2大会連続のオリンピック出場を果たした。1998年に現役を引退後、児童に向けた水泳の指導方法を学ぶためアメリカ留学なども経験する。現在は水泳の指導・水泳の楽しさを伝えるためのイベント出演などを中心としつつ、メディア・トークショー出演、執筆活動なども手がけている。シドニー・アテネ・北京・ロンドンオリンピックにおいては、オリンピアンの視点で現地の情報を発信するアスリートキャスターとしても活動した。2011年に第1子を出産、母親としても日々奮闘中。

その次は、高速で3Dモデリングデータを生成するスキャンシステムを活用した最先端技術を体験できる「THE TOKYO TRAVELLERSコーナー」へ。館内の特別ブースで岩崎さんの全身が撮影・スキャンされると、大型スクリーンに映し出された東京の観光地のCG映像の中に岩崎さんのアバターが登場しました。アバターの動きに合わせ歩く岩崎さん。「日本の技術の素晴らしさを感じることができ、世界の人々と東京の街歩きを楽しめました」とコメントしました。

1992年バルセロナ五輪200メートル平泳ぎ、競泳史上最年少14歳で金メダル獲得。名言として残るインタビューも相まって、一躍、時の人となった。引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学し、水泳・着衣泳のレッスンやイベント出演を通して水泳の楽しさを伝える活動をしている。

決勝には20人の予選を勝ち抜いた8人が進出。日本勢は出場3人全員が残った。

2021最新 岩崎恭子 似てる

2021最新 岩崎恭子 似てる

岩崎さんの名が世界中に轟いたのは26年前。14歳の時に、バルセロナ五輪の200メートル平泳ぎに出場し、金メダルを獲得。14歳での金メダルは、競泳史上世界最年少の記録だった。その後、20歳で現役を引退した後は、スポーツコメンテーターやタレントとしても活躍した。こうした中で、元ラグビー日本代表・齊藤祐也さんと2009年、岩崎さんが30歳の時に結婚した。当時、雑誌の取材で、夫の齊藤さんの印象を、静かな人で真面目で純粋、いつも真剣で、だからこそ人の痛みが分かる人と話している。記事の中には、ウエディングドレスを試着する様子や見つめあいながらお姫様抱っこをされている写真も収められていた。しかし、結婚から9年後に持ち上がった不倫報道。「FLASH」によると、手を繋いでいた男性は50代の妻子ある既婚者で、有名PR会社で役員を務めているという。また、手を繋いでいた写真と同時期に撮影されたと見られる岩崎さんの写真は、黒髪で髪の長さも肩にかかるほどだが、男性との写真では明るい茶色のロングヘアー。2人は出かけるときは、カツラを着用するほどの警戒ぶりだったという。現在、岩崎さんは日本水泳連盟の競泳委員も務めているほか、オリンピック教室と題して、子ども向けの講演活動も行っている。

そして5日、岩崎さんは自身のブログで不倫報道を認め、離婚を発表した。「2018年11月3日をもって、齊藤祐也さんとの婚姻関係を解消させて頂くことになりました。以前より両者合意の下、別居生活をしておりましたが(中略)お互いの気持ちを確認して出した結論です。メディアを通じて人に伝えるという活動をしている人間として決して許されるべきことではなく、大きな過ちを犯してしまいました。離婚協議中であったとはいえ、一人の見識のある大人として、一児の母として、大変軽率で恥ずべき行動を取ってしまったこと(中略)ひとえに私の弱さと甘さが原因だったと思っています。」(岩崎恭子さんのブログより)こうした中、夫だった齊藤さんは週刊誌の取材に対して、岩崎さんに親しい男性がいることは知らなかったと言いつつ、別居しているため、仕方がないと話したという。一方、不倫を認めた岩崎さんは今後について、自身のブログで「お相手の男性とはお付き合いを解消させて頂きました。私自身、二度とこのような過ちがないよう自らの責任を果たしていく所存です。」とコメントした。

最初の種目(男子400メートル個人メドレー)で、瀬戸大也選手が決勝に残れないという予想もしていなかった事態が起きました。
レース展開をどう考えていたかは本人にしかわかりません。しかし、レース後のインタビューで語っていたように、予選で好記録を出したものの決勝では力を出し切れなかった前回のリオデジャネイロ大会のイメージがあったのでしょう。今回は、「予選で力をセーブして決勝に勝負を懸ける」という考えだったと思いますが、現実は勝負し切れず、その作戦ミスが命取りになりましたね。
本人いわく調子は悪くなかったようですし、実際にそういう印象を受けました。ただ、最後にペースを上げられなかったところを見ると絶好調ではなかった気はしますね。最後の自由形で追い上げられたときに、体が動けばそのまま逃げ切れる。だからやっぱり、「力を出し切れなかった」というのが正直なところだと思います。ラスト50メートルくらいまでは力をセーブしていたのが見ていてわかったので、「最終的に何がいけなかったのか」を本人も自問自答しているのではないでしょうか。
幸い、まだ2種目(200メートル個人メドレー、200メートルバタフライ)が残っています。過去に世界選手権でも似たような状況から優勝しているので、「切り替えができるタイプ」の選手です。起きてしまった結果は仕方がないですし、もう次を見据えるしかありません。私は彼のことを10代の頃から見てきましたが、「巻き返せる強さ」を持っている選手だと思っています。

岩崎氏の友人に、オリンピックを見てアナウンサーになりたい、という夢を持ち、それを叶えた人もいるという。視野を広げてみると、オリンピックというものは、新たな経験や目標が見つかる可能性を秘めている。アスリートだけではなく、見る人の世界も広げてくれるもの。それがオリンピックなのだ。

中学2年生で金メダルを獲得し、一気に世間の注目を集めた岩崎氏。良いこともあったが、辛い思いも、イヤな思いもたくさん経験した。自分の気持ちを整理する方法が見つけられずイライラすることもあった。そんな経験が岩崎氏を文理学部心理学科に向かわせた。心理学を学ぶことで自分の心と向き合い、考えを整えることができた。

7月23日に開会式を終え、本格的に競技がスタートした東京五輪。24日には競泳が初日を迎え、各種目に多くの日本人選手が登場した。女子400メートルリレー予選では、白血病を克服して五輪の舞台に立った池江璃花子(ルネサンス)が第2泳者として出場。しかし、惜しくも全体の9位となり決勝進出を逃した。
大橋悠依(イトマン東進)が女子400メートル個人メドレー決勝に、武良竜也(ミキハウス)が男子100メートル平泳ぎ準決勝に進出を果たすなか、メダル獲得を期待されていた瀬戸大也(TEAMDAIYA)は得意の男子400メートル個人メドレーでまさかの予選敗退。幕開けから大波乱が起こった。
そんな初日を、1992年バルセロナ五輪の金メダリストで、現在は競泳の指導者・解説者として活動する岩崎恭子さんに振り返ってもらった。

自身の経験を多くの人に伝え、同じように、悩んでいる人たちの助けになりたい。それも岩崎氏がこれから取り組んでいきたいことの一つだ。

この投稿には1992年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎ金メダルの岩崎恭子さんが「いいね!」を押すなど、投稿から3時間で約5万の「いいね!」が殺到。ネット上でも「脚長すぎ」「股下どないなっとんねん」「美しすぎる」「なんちゅう体」など、抜群のスタイルに驚きの声が上がっている。

1992年のバルセロナ五輪で金メダルに輝いた岩崎恭子(40)さんが、5日に自身の不倫を認め、離婚を発表した。6日発売の週刊誌「FLASH」が、7歳になる娘の母でもある岩崎さんの不倫を報じ、そこには、手をつなぎながら公園を歩く1組のカップルの姿が撮られていた。

1992年バルセロナ五輪200メートル平泳ぎ、競泳史上最年少14歳で金メダル獲得。名言として残るインタビューも相まって、一躍、時の人となった。引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学し、水泳・着衣泳のレッスンやイベント出演を通して水泳の楽しさを伝える活動をしている。

2021最新 岩崎恭子 沼津

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軽部さんは「沼津に住んでいたのは幼少期のたった2年間だが、とても強く印象に残っている。泳ぐ魚が間近にいる美しい若松海水浴場や、カーブを抜けると目の前に現れる豪華客船スカンジナビア号、家から毎日見えた香貫山の五重塔。ちょうど西武百貨店の新館がオープンして、きらびやかな同百貨店などのデパートに行ったことなど、日常的な原体験が沼津にある。夢のような2年間の日常生活だった。幼稚園の頃は引っ込み思案で『泣き虫しんちゃん』と呼ばれていたが、沼津の生活で伸び伸びと明るくなったと母が言っていた。沼津の生活がなかったらアナウンサーになっていなかったと思う」と振り返った。

岩崎さんは走行後のイベントで「29年前は金メダル獲得後に市内をパレードした」と思い出を披露。聖火ランナーとして凱旋できたことを「大変うれしく思う」とし、「7月23日に国立競技場で聖火が無事ともることを願っています」と締めくくった。

◇岩崎 恭子(いわさき・きょうこ)1978年(昭53)7月21日生まれ、静岡県沼津市出身の43歳。日大三島—日大。92年バルセロナ五輪で200メートル平泳ぎに出場し、競泳史上最年少金メダリストに。96年アトランタ五輪にも出場し、98年に現役引退。02年にはJOC海外指導者研修で留学を経験。JOCでは事業広報専門委員などを歴任した。現在は日本水泳連盟で競泳委員を務めている。

2021年度と2022年度の「燦々(さんさん)ぬまづ大使」に就任したフジテレビアナウンサーの軽部真一さんの認証式が6月25日、沼津市役所(沼津市御幸町)であった。

軽部さんは「CNNのラリー・キングはサスペンダーがトレードマークで、日本のラリー・キングになろうと『めざましテレビ』が始まる時に、サスペンダーとちょうネクタイを毎日身に着けるようにした。今ではちょうネクタイと言ったら軽部と認識してもらえるようになった。軽部と言えばちょうネクタイの存在が大きいと思う。沼津といえばこれ、という何かがあると強い」と沼津の強みを作ることを自身の体験から話し、「第二の故郷である沼津をいろんな人に改めて知ってもらえるよう、私なりにPRしていきたい」と意気込んだ。

東京五輪の聖火リレーは24日午後も静岡県で続き、1992年バルセロナ五輪競泳の金メダリスト岩崎恭子さん(42)が、故郷の沼津市を走った。
岩崎さんは走行後のイベントで「29年前は金メダル獲得後に市内をパレードした」と思い出を披露。聖火ランナーとして凱旋できたことを「大変うれしく思う」とし、「7月23日に国立競技場で聖火が無事ともることを願っています」と締めくくった。
5人制サッカー(視覚障害)でパラリンピック出場が見込まれる田中章仁さん(43)は「こんな競技があるということを多くの人に知ってもらいたくて」リレーに参加。笑顔で焼津市を走った。

市民講座「沼津の学校」が8月5日、開催される。

東京五輪の聖火リレーは24日午後も静岡県で続き、1992年バルセロナ五輪競泳の金メダリスト岩崎恭子さん(42)が、故郷の沼津市を走った。

頼重市長は「情景が思い浮かぶくらい、沼津の思い出を語ってくれて、沼津愛が強い人。シティープロモーションへの協力をお願いしたい」と話した。

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私は92年のバルセロナ五輪で金メダルを獲りましたが、大会前には全く注目されていなくて、プレッシャーや邪念は全くありませんでした。でも次のアトランタ五輪は大会前から注目されて、結局100、200メートルとも決勝に残ることができませんでした。その時に一番感じたのは「注目される中でメダルを獲れる選手はどれだけ強いんだろう」ということでした。心技体の全てが備わっていないと重圧を乗り越えて栄冠を手にすることはできないんです。日本が発祥ということで常に周りから金メダルを求められる柔道はそれだけで大変だと思いますし、その中で9個も金メダルを獲ったのですから本当に凄いことだと思います。

軽部さんは、銀行員の父親の転勤で小学校3年生から5年生の1学期まで沼津で暮らした。テレビ番組で沼津のエピソードを軽部さんが話しているのを目にした頼重秀一沼津市長が、同大使への就任を打診したという。

同大使は沼津市を内外にPRする目的で設立された制度で、1991(平成3)年から続くもの。大使は、それぞれ沼津にゆかりのある人物が選任されており、俳優の故・三國連太郎さんや、タレントの山田邦子さん、水泳選手の岩崎恭子さんなどが選ばれてきた。

2021最新 岩崎恭子 メダル

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苦しみの中でもがき続けた岩崎さんは、それでも諦めずに4年後のアトランタ五輪に出場する。しかし、表彰台に上ることはできなかった。

2015年、フィギュアスケートソチ五輪金メダリスト羽生結弦選手は、さらに大きくなって世界中のファンを魅了することになるだろう。
アクシデント…

大会4日目の7月26日(月)、日本は連日のメダルラッシュとなった。

本人はサラッと登場したが「ノコノコと出てこられる愛ちゃんの神経にもびっくりだな」「金メダル獲得で喜び爆発しましたが、彼女の登場で一気に冷めました」など、さんざんなコメントが並ぶ。愛ちゃんの前途は多難であるーー。

柔道では、男子73kg級の大野将平がリオデジャネイロ2016大会に続く連覇を果たした。大野は初戦となった2回戦から準々決勝まで一本勝ちを収めると、準決勝と決勝は延長戦で共に技ありを奪い、優勢勝ちで2大会連続頂点に立った。また女子57kg級の芳田司は3位決定戦を制し、銅メダルを獲得している。

何が違ったのか? 岩崎さんは、金メダル後の泳ぎを振り返って、こんなふうに分析する。

98年に引退。現在は一児の母になっている岩崎さん。金メダルの光と影を懐かしそうに語った。

不倫といえば……で話が繋がるのもおかしな話だが、7月8日に台湾の卓球選手・江宏傑との離婚を発表した、卓球の元五輪メダリストの福原愛が7月26日、フジテレビの卓球中継に登場。即座に炎上した。

それは金メダルの残像か? はたまた興奮の後遺症か? 14歳の少女は、世界一という偉業に振り回される。それでも岩崎さんは言った。

「とにかく優勝したレースは気持ち良かったんです。でも、思い出す気持ち良さには、金メダルを取った喜びが後から加わっていたような気がする。増幅されたイメージを追いかけてしまった。それはもう体験することのできない快感だったはず。それを取り戻そうとしたことで、自分らしく自然に泳ぐことができなくなっていたと思うんです」

7月23日に開幕した東京オリンピックは連日、日本勢が金メダルを獲得している。

東京2020オリンピックから新競技となったスケートボートでは、前日の男子(堀米雄斗)に続き、女子ストリートでも日本勢が初代女王に輝いた。戴冠を果たしたのは13歳の西矢椛。2位で予選を突破した西矢は、決勝のトリックの3、4本目で高得点を上げ、合計15.26点をマークした。13歳330日での金メダル獲得は、バルセロナ1992大会の競泳女子200m平泳ぎで優勝した岩崎恭子さんの14歳6日を更新する、日本人史上最年少記録となった。また同種目では、16歳の中山楓奈も銅メダルを獲得した。

連覇を狙った体操男子団体は、第5種目終了時点で3位だったが、最後の鉄棒で中国を逆転。6種目合計で262.397点をマークしたものの、ROC(ロシア・オリンピック委員会)に0.103点及ばず、全4選手が初出場と若い日本は銀メダルとなった。

2020年東京五輪を心待ちにしているアスリートは数多くいるが、その中でもこの人ほど熱い思いで、その時を待っている選手はいないだろう。ソフトボ…

「金メダリストというプレッシャーに負けないで、アトランタ五輪に出場できたことが私の誇りです。そしていろいろ悩んだことが、今の私の財産になっています」

2021最新 岩崎恭子 昔

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パワーに劣る日本人選手が平泳ぎで好結果を残しているのは、パワー不足をテクニックで補っているからだという。また当時のレース映像を見るとよく分かるが、岩崎さんは追い込み型。後半に強いイメージがあるのだが、それはどのような理由からなのか。

異例の無観客で始まった『TOKYO2020』。開催については賛否両論があろう。オリンピックの在り方についても考えさせられる。そんな中、複雑な想いを抱きながらも選手たちは必至で闘おうとしている。ならばテレビの前で応援しようではないか。
そして、過去の大会を思い起こすことでオリンピックを観るの楽しみは、さらに膨れ上がる。

そして5日、岩崎さんは自身のブログで不倫報道を認め、離婚を発表した。「2018年11月3日をもって、齊藤祐也さんとの婚姻関係を解消させて頂くことになりました。以前より両者合意の下、別居生活をしておりましたが(中略)お互いの気持ちを確認して出した結論です。メディアを通じて人に伝えるという活動をしている人間として決して許されるべきことではなく、大きな過ちを犯してしまいました。離婚協議中であったとはいえ、一人の見識のある大人として、一児の母として、大変軽率で恥ずべき行動を取ってしまったこと(中略)ひとえに私の弱さと甘さが原因だったと思っています。」(岩崎恭子さんのブログより)こうした中、夫だった齊藤さんは週刊誌の取材に対して、岩崎さんに親しい男性がいることは知らなかったと言いつつ、別居しているため、仕方がないと話したという。一方、不倫を認めた岩崎さんは今後について、自身のブログで「お相手の男性とはお付き合いを解消させて頂きました。私自身、二度とこのような過ちがないよう自らの責任を果たしていく所存です。」とコメントした。

「堅実で泥臭い柔道」
吉田秀彦(1992バルセロナ五輪・柔道男子78kg級金メダリスト)が、そう評した通り決して綺麗な勝ち方ではなかった。
「でもよくやった。リオ(・デ・ジャネイロ大会/2016年)での悔しさが活きた。『絶対に勝つ』との強い思いが伝わってきた」(吉田)。
同感だ。
オリンピックでの闘いの怖さを知っているからこそ、容易には技を仕掛けられない。それでも「絶対に負けない」粘り強い闘いをやってみせた。体力を消耗しても気持ちを切らすこともなかった。
内容重視ではなく、結果重視。その信念を貫き高藤は目標を達成した。だから胸を張って言ったのだ。
「これが僕の柔道です」と。

表彰台に上がった3人の平均年齢は14歳191日で、五輪史上最年少となった。最も若い金メダリストは、1936年ベルリン大会の飛板飛込のマージョリー・ゲストリング(13歳267日)で、西矢より63日先んじている。レアウが優勝していれば、13歳203日で最年少記録の更新だった。

体操・内村航平が、まさかの鉄棒落下。競泳・400m個人メドレーでは瀬戸大也が想定外の予選落ち。波乱の幕開けとなった無観客開催での『TOKYO2020』。やはりオリンピックには魔物が棲んでいるのか─。

岩崎さんの名が世界中に轟いたのは26年前。14歳の時に、バルセロナ五輪の200メートル平泳ぎに出場し、金メダルを獲得。14歳での金メダルは、競泳史上世界最年少の記録だった。その後、20歳で現役を引退した後は、スポーツコメンテーターやタレントとしても活躍した。こうした中で、元ラグビー日本代表・齊藤祐也さんと2009年、岩崎さんが30歳の時に結婚した。当時、雑誌の取材で、夫の齊藤さんの印象を、静かな人で真面目で純粋、いつも真剣で、だからこそ人の痛みが分かる人と話している。記事の中には、ウエディングドレスを試着する様子や見つめあいながらお姫様抱っこをされている写真も収められていた。しかし、結婚から9年後に持ち上がった不倫報道。「FLASH」によると、手を繋いでいた男性は50代の妻子ある既婚者で、有名PR会社で役員を務めているという。また、手を繋いでいた写真と同時期に撮影されたと見られる岩崎さんの写真は、黒髪で髪の長さも肩にかかるほどだが、男性との写真では明るい茶色のロングヘアー。2人は出かけるときは、カツラを着用するほどの警戒ぶりだったという。現在、岩崎さんは日本水泳連盟の競泳委員も務めているほか、オリンピック教室と題して、子ども向けの講演活動も行っている。

1992年のバルセロナ五輪で金メダルに輝いた岩崎恭子(40)さんが、5日に自身の不倫を認め、離婚を発表した。6日発売の週刊誌「FLASH」が、7歳になる娘の母でもある岩崎さんの不倫を報じ、そこには、手をつなぎながら公園を歩く1組のカップルの姿が撮られていた。

1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等でコメンテイターとしても活躍中。『プロレスが死んだ日。~ヒクソン・グレイシーvs.高田延彦20年目の真実~』(集英社インターナショナル)『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文藝春秋)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『柔道の父、体育の父 嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。

1992年バルセロナ五輪・競泳女子200メートル平泳ぎで金の岩崎恭子さんが26日、自身のインスタグラムを更新。同日、東京五輪のスケートボード・ストリート女子で、日本の13歳・西矢椛(もみじ、ムラサキスポーツ)が15・26点で金メダルを獲得し、自身の14歳6日の最年少記録を更新したことに祝福のメッセージをつづった。

2021最新 岩崎恭子 名言

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しかし実際は「き」が入っていなかったということで、岩崎恭子さんが収録中に訂正するというまさに歴史的瞬間があったのでした。

水泳から離れることはなく、2002年には海外指導者研究生としてアメリカにも留学し、指導者としての道を歩み始めました。

すると岩崎は、「『今まで生きてた中で』って言った。『生きてきた中で』って言ってないの」と説明。「き」が入ってなかったという岩崎の主張にスタジオは騒然とした空気に包まれてしまった。

バルセロナ1992大会から5大会連続出場を果たした柔道女子48kg級の谷亮子さん。出場したすべての大会でメダル獲得という輝かしい実績を持つ。そんな谷さんの有名な言葉が、シドニー2000大会を前に語った目標「最高でも金、最低でも金」だ。

7月7日に放送された「東大王 五輪直前SP」(TBS系)に、92年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎ金メダリストの岩崎恭子が出演。金メダル決定直後のインタビューでの自身の名言を訂正するというハプニングが起きた。

過去2大会はいずれも銀メダルに終わっただけに、「なんとしても金」という思いを持ちシドニーへと向かった。決勝ではわずか36秒で一本勝ちと、これまでの悔しさを晴らす圧勝に「夢のようです」と笑顔を見せた。2003年に結婚して田村から谷へと苗字が変わったことから、「田村でも金、谷でも金」を公言し、アテネ2004大会で2大会連続の金メダル獲得している。

東京オリンピックでも、岩崎恭子さんは活躍されるかもしれませんね。

【岩崎恭子が新規事業開始】RASCAL’sとスポーツビズがアスリート支援協同プロジェクト始動!!

そして1998年、伝染性膿痂疹を発症してしまったことと、競技への気持ちが喪失していることを実感し、引退を決意。
まだ20歳のことでしたが、岩崎恭子さんにとって14歳から20歳の間の競技人生は、とても大変なものだったのではないでしょうか。

しかし引退後も岩崎恭子さんの知名度は相当なもので、テレビにコメンテーターとして出演するなどテレビの仕事が増えていきます。

今回東京オリンピックが近づいていますが、地元の沼津市で聖火ランナーを務めるなどやはり岩崎恭子さんはオリンピックに欠かせない人になっています。

「この問題が違うの?」と改めて尋ねた司会の山里亮太に、岩崎は「そうなの、みんな間違えるんです」と苦笑。驚きの事実誤認に山里が「凄い瞬間に立ち会いましたね」と驚くと、同じく司会のヒロミも「今までいろんなところで間違えてるよね」と指摘した。

さらに名言を発したことでの中傷もあり、「あんなことを言わなければよかった」と思ったりと、14歳にはとても辛い現実が待っていました。

問題自体が間違っていたので、MCの山里亮太さんも「岩崎さん、そのアスリート精神ほんと素晴らしい。今の問題なかったことになります」とおっしゃるほど。

岩崎の指摘により、この問題はノーカウントという扱いに。日本が世界に誇る金メダリストの名言の真実が、29年ぶりに訂正された貴重な夜となった。