2021最新 岩崎恭子東大王

2021最新 岩崎恭子東大王

松田は「本人が違うって…」と戸惑いを見せ、VTRを再現したところ、「今まで生きてきた中で、一番幸せです」とテロップが流れ、実況の杉山真也アナも「岩崎さん違いましたか?」といぶかしげな面持ち。

7月7日に放送された「東大王 五輪直前SP」(TBS系)に、92年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎ金メダリストの岩崎恭子が出演。金メダル決定直後のインタビューでの自身の名言を訂正するというハプニングが起きた。

「この問題が違うの?」と改めて尋ねた司会の山里亮太に、岩崎は「そうなの、みんな間違えるんです」と苦笑。驚きの事実誤認に山里が「凄い瞬間に立ち会いましたね」と驚くと、同じく司会のヒロミも「今までいろんなところで間違えてるよね」と指摘した。

岩崎恭子さん 瀬戸大也まさかの予選落ちに「動揺した」 ネットの厳しい声「本人も分かってたと思う」

岩崎さんの名が世界中に轟いたのは26年前。14歳の時に、バルセロナ五輪の200メートル平泳ぎに出場し、金メダルを獲得。14歳での金メダルは、競泳史上世界最年少の記録だった。その後、20歳で現役を引退した後は、スポーツコメンテーターやタレントとしても活躍した。こうした中で、元ラグビー日本代表・齊藤祐也さんと2009年、岩崎さんが30歳の時に結婚した。当時、雑誌の取材で、夫の齊藤さんの印象を、静かな人で真面目で純粋、いつも真剣で、だからこそ人の痛みが分かる人と話している。記事の中には、ウエディングドレスを試着する様子や見つめあいながらお姫様抱っこをされている写真も収められていた。しかし、結婚から9年後に持ち上がった不倫報道。「FLASH」によると、手を繋いでいた男性は50代の妻子ある既婚者で、有名PR会社で役員を務めているという。また、手を繋いでいた写真と同時期に撮影されたと見られる岩崎さんの写真は、黒髪で髪の長さも肩にかかるほどだが、男性との写真では明るい茶色のロングヘアー。2人は出かけるときは、カツラを着用するほどの警戒ぶりだったという。現在、岩崎さんは日本水泳連盟の競泳委員も務めているほか、オリンピック教室と題して、子ども向けの講演活動も行っている。

そして5日、岩崎さんは自身のブログで不倫報道を認め、離婚を発表した。「2018年11月3日をもって、齊藤祐也さんとの婚姻関係を解消させて頂くことになりました。以前より両者合意の下、別居生活をしておりましたが(中略)お互いの気持ちを確認して出した結論です。メディアを通じて人に伝えるという活動をしている人間として決して許されるべきことではなく、大きな過ちを犯してしまいました。離婚協議中であったとはいえ、一人の見識のある大人として、一児の母として、大変軽率で恥ずべき行動を取ってしまったこと(中略)ひとえに私の弱さと甘さが原因だったと思っています。」(岩崎恭子さんのブログより)こうした中、夫だった齊藤さんは週刊誌の取材に対して、岩崎さんに親しい男性がいることは知らなかったと言いつつ、別居しているため、仕方がないと話したという。一方、不倫を認めた岩崎さんは今後について、自身のブログで「お相手の男性とはお付き合いを解消させて頂きました。私自身、二度とこのような過ちがないよう自らの責任を果たしていく所存です。」とコメントした。

1992年のバルセロナ五輪で金メダルに輝いた岩崎恭子(40)さんが、5日に自身の不倫を認め、離婚を発表した。6日発売の週刊誌「FLASH」が、7歳になる娘の母でもある岩崎さんの不倫を報じ、そこには、手をつなぎながら公園を歩く1組のカップルの姿が撮られていた。

そんな中、アクシデントは番組終盤に起きた。当時14歳だった岩崎がバルセロナ五輪で金メダルを獲得した直後のインタビューで発した名言は何だったかを答えるクイズで、アスリートチームの解答者で、4大会連続で五輪出場した競泳の松田丈志は「今まで生きてきた中で、一番幸せです」と解答。岩崎本人は「違うの!」と不正解だとアピールしたが、スタジオには正解のチャイムが鳴り響いた。

岩崎の指摘により、この問題はノーカウントという扱いに。日本が世界に誇る金メダリストの名言の真実が、29年ぶりに訂正された貴重な夜となった。

東京五輪は2日、女子1500メートル予選で2019年の同種目世界選手権女王シフ…

【岩崎恭子が新規事業開始】RASCAL’sとスポーツビズがアスリート支援協同プロジェクト始動!!

すると岩崎は、「『今まで生きてた中で』って言った。『生きてきた中で』って言ってないの」と説明。「き」が入ってなかったという岩崎の主張にスタジオは騒然とした空気に包まれてしまった。

2021最新 岩崎恭子タイム

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1992年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎ金メダルの岩崎恭子氏(43)が、競泳女子の大橋悠依(25=イトマン東進)にさらなる期待を寄せた。
大橋は25日の400メートル個人メドレーで金メダルを獲得すると、28日の200メートル個人メドレーでも接戦を制した。夏季五輪の日本女子選手として初めて2冠を達成し「競泳は個人で何種目も出られる競技なので、チャンスがあるのはありがたいなと思います。ただ、史上初という実感がないのでビックリしています」と神妙に語っていた。
歴史に名を刻んだ大橋の泳ぎについて、岩崎氏は「本人も話していましたが、400(メートル個人メドレー)で勝ったことですごく余裕があったと思う。あとは作戦を立てる上で、非常に平井(伯昌)先生もしっかりとアドバイスしたと思うし、作戦はすごく当たっていた」と振り返った。
競泳女子界の歴史に新たなページを刻んだ大橋。来年5月には世界選手権(福岡)を控えていることから「追いかけられる立場になったと思うが、そこでもう一度2冠を達成してもらうと、またさらに強さを見せられるんじゃないかな」とエールを送った。

北島さんは4度目のオリンピックとなるロンドン2012大会に出場したが、個人種目ではメダルに届かなかった。迎えた競技最終日、男子4×100mメドレーリレーで第2泳者を務め、日本男子史上初となる銀メダルを獲得した。インタビューで北島さんの次を泳いだ松田丈志さんが語ったのが、「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」。

表彰台に上がった3人の平均年齢は14歳191日で、五輪史上最年少となった。最も若い金メダリストは、1936年ベルリン大会の飛板飛込のマージョリー・ゲストリング(13歳267日)で、西矢より63日先んじている。レアウが優勝していれば、13歳203日で最年少記録の更新だった。

西矢の13歳でのメダル獲得は、日本の最年少記録。これまでは、1992年バルセロナ五輪の競泳女子200メートル平泳ぎで金メダルを取った、岩崎恭子の14歳が最年少だった。

決勝には20人の予選を勝ち抜いた8人が進出。日本勢は出場3人全員が残った。

1992年バルセロナ五輪女子200メートル平泳ぎ金メダルの岩崎恭子さん(43)が25日、TBS系「サンデー・ジャポン」(日曜・午前9時54分)に生出演した。
番組では、東京五輪の男子400メートル個人メドレー予選で瀬戸大也が予選落ちしたことを報じた。
岩崎さんは「競泳の一番最初の種目だったので、テレビを見ていてその後、落ち着いて見られないぐらい動揺を私もしてしまった」とまさかの予選落ちに衝撃を受けた明かした。「元々、力を持っていましたし、泳ぎを見ても調子もよかったと思う。レース後も肩で息をしているような感じもなかったので、やっぱりインタビューでも言っていたんですけど、リオ五輪の時に予選を頑張って決勝で力を出し切れなかった。次の日のために力を温存しようと思っていた」と力を温存したのが裏目に出たとし、「今回は予選が午後に行われたので、みんな体が動くのでタイムがハイレベルだった。他の選手も強かったというのもありますけど、瀬戸選手はちょっと力を出し切れなかった。ペース配分のミスだったかな」と敗因を分析した。
決勝へ力を温存しながらレースをすることには「(決勝へ余力を残しながら泳ぐのは)瀬戸選手くらいのレベルになると出来る」としたが、「決勝に進まないと何もならないので、出来る選手なんですけど他の選手も速かったですし、もう少し上のレベルで泳がなければ(厳しい)」と予選突破レベルを見誤ったと指摘した。

競泳で数々の名言を残してきたのは、シドニー2000大会から4大会連続出場を果たした北島康介さんである。「チョー気持ちいい」は、アテネ2004大会の男子100m平泳ぎで自身初の金メダルを手にした後に生まれた。高校3年生で出場したシドニー2000大会は4位入賞。そこから4年、ブレンダン・ハンセン選手(アメリカ)との競り合いを制すと、インタビューで喜びを爆発させた。

7月23日に開会式を終え、本格的に競技がスタートした東京五輪。24日には競泳が初日を迎え、各種目に多くの日本人選手が登場した。女子400メートルリレー予選では、白血病を克服して五輪の舞台に立った池江璃花子(ルネサンス)が第2泳者として出場。しかし、惜しくも全体の9位となり決勝進出を逃した。
大橋悠依(イトマン東進)が女子400メートル個人メドレー決勝に、武良竜也(ミキハウス)が男子100メートル平泳ぎ準決勝に進出を果たすなか、メダル獲得を期待されていた瀬戸大也(TEAMDAIYA)は得意の男子400メートル個人メドレーでまさかの予選敗退。幕開けから大波乱が起こった。
そんな初日を、1992年バルセロナ五輪の金メダリストで、現在は競泳の指導者・解説者として活動する岩崎恭子さんに振り返ってもらった。

果たして東京2020大会では、人々の記憶に残る名言が生まれるのか。熱戦とともにアスリートら言葉も楽しみだ。

4年後の北京2008大会では、58秒91の世界新記録で同種目を連覇した。日本選手団の主将を担い、試合前には「世界記録で金メダルを獲得する」と自らを追い込んだ。その結果、新鋭のアレクサンドル・ダーレオーエン選手(ノルウェー)らを破り、公約を果たした。レース後にこみ上げるものを抑えながら放った「何も言えねぇ」も、北島さんの代名詞のひとつだ。

1992年バルセロナ五輪200メートル平泳ぎ、競泳史上最年少14歳で金メダル獲得。名言として残るインタビューも相まって、一躍、時の人となった。引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学し、水泳・着衣泳のレッスンやイベント出演を通して水泳の楽しさを伝える活動をしている。

最初の種目(男子400メートル個人メドレー)で、瀬戸大也選手が決勝に残れないという予想もしていなかった事態が起きました。
レース展開をどう考えていたかは本人にしかわかりません。しかし、レース後のインタビューで語っていたように、予選で好記録を出したものの決勝では力を出し切れなかった前回のリオデジャネイロ大会のイメージがあったのでしょう。今回は、「予選で力をセーブして決勝に勝負を懸ける」という考えだったと思いますが、現実は勝負し切れず、その作戦ミスが命取りになりましたね。
本人いわく調子は悪くなかったようですし、実際にそういう印象を受けました。ただ、最後にペースを上げられなかったところを見ると絶好調ではなかった気はしますね。最後の自由形で追い上げられたときに、体が動けばそのまま逃げ切れる。だからやっぱり、「力を出し切れなかった」というのが正直なところだと思います。ラスト50メートルくらいまでは力をセーブしていたのが見ていてわかったので、「最終的に何がいけなかったのか」を本人も自問自答しているのではないでしょうか。
幸い、まだ2種目(200メートル個人メドレー、200メートルバタフライ)が残っています。過去に世界選手権でも似たような状況から優勝しているので、「切り替えができるタイプ」の選手です。起きてしまった結果は仕方がないですし、もう次を見据えるしかありません。私は彼のことを10代の頃から見てきましたが、「巻き返せる強さ」を持っている選手だと思っています。

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2021最新 岩崎恭子氏

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1992年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎ金メダルの岩崎恭子氏(43)が、競泳女子の大橋悠依(25=イトマン東進)にさらなる期待を寄せた。
大橋は25日の400メートル個人メドレーで金メダルを獲得すると、28日の200メートル個人メドレーでも接戦を制した。夏季五輪の日本女子選手として初めて2冠を達成し「競泳は個人で何種目も出られる競技なので、チャンスがあるのはありがたいなと思います。ただ、史上初という実感がないのでビックリしています」と神妙に語っていた。
歴史に名を刻んだ大橋の泳ぎについて、岩崎氏は「本人も話していましたが、400(メートル個人メドレー)で勝ったことですごく余裕があったと思う。あとは作戦を立てる上で、非常に平井(伯昌)先生もしっかりとアドバイスしたと思うし、作戦はすごく当たっていた」と振り返った。
競泳女子界の歴史に新たなページを刻んだ大橋。来年5月には世界選手権(福岡)を控えていることから「追いかけられる立場になったと思うが、そこでもう一度2冠を達成してもらうと、またさらに強さを見せられるんじゃないかな」とエールを送った。

この投稿には1992年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎ金メダルの岩崎恭子さんが「いいね!」を押すなど、投稿から3時間で約5万の「いいね!」が殺到。ネット上でも「脚長すぎ」「股下どないなっとんねん」「美しすぎる」「なんちゅう体」など、抜群のスタイルに驚きの声が上がっている。

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2021最新 岩崎恭子関口宏

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(写真:ファミ通.com)文:竹内白州 2021年7月21日16時よりNintendoSwitch版が正式にサービス開始となった『ポケットモンスター』シリーズ初のチーム戦略バトルゲーム『ポケモンユナイト』(スマートフォン版は2021年9月配信予定)。【この記事の画像をもっと見る】 本作のランクマッチにおける最高ランク・マスター(到達最高ランクは世界13位)に到達した担当ライターの竹内..

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これにゲスト出演のバルセロナ五輪200メートル平泳ぎ金メダルの岩崎恭子氏は「日本、注目されていたからこそ、選手をたくさん研究されていたと思うんです。そういうところで難しかったと思います。これだけバドミントンが強くなったことが素晴らしいと思います」とコメントした。

吉高由里子(C)ORICONNewSinc. 女優の吉高由里子が29日、自身のツイッターを更新し、この日に結婚を発表した俳優の林遣都と大島優子を祝福した。【写真】交際のきっかけ?大島優子&林遣都、共演時の乾杯ショット 吉高は、林とドラマ『美丘-君がいた日々-』(2010)、大島とはドラマ『東京タラレバ娘』(2017)で共演しており、「ねぇーおめでたいよぉー 大事なお2人 大好きなお2..

2021最新 岩崎恭子プロフィール

2021最新 岩崎恭子プロフィール

古代から近代までのさまざまな「史書」の舞台を訪ね、歴史を掘り下げます。2020年は、完成1300年を迎えた「日本書紀」ゆかりの地を重点的に取り上げます。

◇岩崎 恭子(いわさき・きょうこ)1978年(昭53)7月21日生まれ、静岡県沼津市出身の43歳。日大三島—日大。92年バルセロナ五輪で200メートル平泳ぎに出場し、競泳史上最年少金メダリストに。96年アトランタ五輪にも出場し、98年に現役引退。02年にはJOC海外指導者研修で留学を経験。JOCでは事業広報専門委員などを歴任した。現在は日本水泳連盟で競泳委員を務めている。

岩崎さんが金メダルを獲得したのは「200m平泳ぎ」。平泳ぎの種目のなかでは最長のカテゴリだ。この泳法、距離に辿り着く過程というのは、意外なまでにシンプルなものだった。

パワーに劣る日本人選手が平泳ぎで好結果を残しているのは、パワー不足をテクニックで補っているからだという。また当時のレース映像を見るとよく分かるが、岩崎さんは追い込み型。後半に強いイメージがあるのだが、それはどのような理由からなのか。

東京五輪第4日・スケートボード(26日、有明アーバンスポーツパーク)日本最年少金メダリストが誕生!! 女子ストリートで西矢椛(もみじ、ムラサキスポーツ)が15・26点で頂点に立った。13歳10カ月での優勝は、1992年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎを14歳で制した岩崎恭子の日本選手最年少メダル記録を更新。25日に男子ストリートで初代王者となった堀米雄斗(22)=XFLAG=に続き、ニューヒロインが誕生した。

「国際水泳連盟が定める『女子平泳ぎ』には50m・100 m・200 mの3つがあり、私のなかで50mと100 mは短距離というイメージ。私はスピードよりも持久力に強みを持っていて、長い距離のほうがタイムのレベルが高かったので、おのずと200mの選手として選ばれるようになりました。 そもそも平泳ぎの選手になったのも、たまたまタイムが良かったからという単純な理由です。小さいころは記録会で全種目の泳法のタイムを計るのですが、どういうわけか平泳ぎだけいい記録が出たんですよね。楽に泳げるという意味ではクロールが一番好きですが(笑)。 ちなみに平泳ぎだけ『引いて・伸びて』という特殊な動きも求められるため、4泳法のなかで最も技術が必要と言われています。自由形(クロール)・背泳ぎ・バタフライは水を『掻いて』進むという部分で共通しているので、オリンピックのレベルでも自由形と背泳ぎ、自由型とバタフライといった2種目をこなす選手はいるのですが、平泳ぎの選手にはほとんどそれがありません。この事実だけを見ても、平泳ぎの特殊性が分かると思います」

2021最新 岩崎恭子夫

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しかしそんな嬉しさも、数日後には岩崎恭子さんにとって重圧に変化することになったのです。

姉の敬子さんが同じ平泳ぎにおいて、ジュニアオリンピックで優勝している姿を目の当たりにしてきた岩崎恭子さん。長い間、「お姉ちゃんはすごい」という尊敬の念を持ち続けました。

しかし岩崎恭子さんも負けてはおらず、小学校6年生の時に出場した大会で日本記録を更新。早くも才能を開花させていました。

岩崎恭子さんの不倫を報道した「FLASH」によると、不倫相手の男性A氏は50代で、名の通ったPR会社の役員を務めていること、奥さんと2人の子供がいるらしいと記述されています。

しかし、一躍有名になったことで、家族にも影響が及び、苦しんだことも明かしています。そして、20歳で引退後は、指導者として活動しています。

こうして、家族の幸せを壊したという思いに駆られた岩崎恭子さんは、周囲に対して心を閉ざしてしまいました。

岩崎さんは92年バルセロナ大会、96年アトランタ大会と2度の五輪に出場して現役を引退。09年に斎藤さんと結婚していた。

後年、岩崎恭子さんは当時を振り返り「状況がよく分かっていなかったので」と、水泳を楽しむことだけを考えていたと明かしています。

その当時200mは2分31秒08という新記録を残されています。

若いエースの台頭に地元は湧いたものの、岩崎恭子さんの家族は複雑な思いだったようです。

さらに、決勝にコマを進めた岩崎恭子さんは、試合直前にお腹が空いたのでおにぎりを5つも平らげています。きっと、他の選手よりもリラックスしていたのでしょう。

1991年の中学1年の時、全国中学校水泳競技大会女子100mと200mで、2冠を達成されています。

代表選手から落ちてしまったことで、岩崎恭子さんはジュニア世代が集まる合宿に参加しました。遠征先は、奇しくも初めての海外遠征先であるサンタクララという場所でした。

そして5日、岩崎さんは自身のブログで不倫報道を認め、離婚を発表した。「2018年11月3日をもって、齊藤祐也さんとの婚姻関係を解消させて頂くことになりました。以前より両者合意の下、別居生活をしておりましたが(中略)お互いの気持ちを確認して出した結論です。メディアを通じて人に伝えるという活動をしている人間として決して許されるべきことではなく、大きな過ちを犯してしまいました。離婚協議中であったとはいえ、一人の見識のある大人として、一児の母として、大変軽率で恥ずべき行動を取ってしまったこと(中略)ひとえに私の弱さと甘さが原因だったと思っています。」(岩崎恭子さんのブログより)こうした中、夫だった齊藤さんは週刊誌の取材に対して、岩崎さんに親しい男性がいることは知らなかったと言いつつ、別居しているため、仕方がないと話したという。一方、不倫を認めた岩崎さんは今後について、自身のブログで「お相手の男性とはお付き合いを解消させて頂きました。私自身、二度とこのような過ちがないよう自らの責任を果たしていく所存です。」とコメントした。

2009年に結婚した2人の間には、2011年3月28日に1人娘が誕生しました。

2021最新 岩崎恭子西矢椛

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従来の記録保持者だった競泳の岩崎恭子さんが14歳で金メダルを獲得し「今まで生きてきた中で一番幸せです」と話したことになぞらえ、西矢は「まだ一番かは分からないけど、今のところは一番良い思い出です」と話した。

2021最新 岩崎恭子昔

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岩崎さんが金メダルを獲得したのは「200m平泳ぎ」。平泳ぎの種目のなかでは最長のカテゴリだ。この泳法、距離に辿り着く過程というのは、意外なまでにシンプルなものだった。

1992年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎ金メダリストでスポーツコメンテーターの岩崎恭子氏(42)が7日、TBS系「東大王 SP」(後7・0)に出演。これまで語られてきた自身の名言を訂正し、スタジオを驚かせる一幕があった。

異例の無観客で始まった『TOKYO2020』。開催については賛否両論があろう。オリンピックの在り方についても考えさせられる。そんな中、複雑な想いを抱きながらも選手たちは必至で闘おうとしている。ならばテレビの前で応援しようではないか。
そして、過去の大会を思い起こすことでオリンピックを観るの楽しみは、さらに膨れ上がる。

この日の番組では、岩崎氏や元競泳日本代表の松田丈志氏(37)ら五輪メダリストが集結し、東大王メンバーとクイズ対決。そのなかで出題されたのが、岩崎氏がバルセロナ五輪で金メダルを獲得し、直後のインタビューで発した名言だった。ここで回答ボタンを押した松田氏は「今まで生きてきた中で一番幸せです」と答えたが、岩崎氏は「違うの」と否定。しかし、正解のチャイムが鳴り、松田氏ら出演者は「本人が違うって言ったんですけど」と困惑した。

「今まで生きてきた中で一番幸せです」。バルセロナオリンピックのレース後に口にしたこの言葉とともに、当時、一躍時の人となった岩崎さん。しかし、多感な14歳の少女の心は、その環境の変化に追いつくことができませんでした。

これに対し、ファンらからは「岩崎さんの記録は未来
永劫(えいごう)
更新されることはないと思っていました」「最年少金メダリスト更新。感無量でしょう」などのコメントが寄せられた。

「堅実で泥臭い柔道」
吉田秀彦(1992バルセロナ五輪・柔道男子78kg級金メダリスト)が、そう評した通り決して綺麗な勝ち方ではなかった。
「でもよくやった。リオ(・デ・ジャネイロ大会/2016年)での悔しさが活きた。『絶対に勝つ』との強い思いが伝わってきた」(吉田)。
同感だ。
オリンピックでの闘いの怖さを知っているからこそ、容易には技を仕掛けられない。それでも「絶対に負けない」粘り強い闘いをやってみせた。体力を消耗しても気持ちを切らすこともなかった。
内容重視ではなく、結果重視。その信念を貫き高藤は目標を達成した。だから胸を張って言ったのだ。
「これが僕の柔道です」と。

1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等でコメンテイターとしても活躍中。『プロレスが死んだ日。~ヒクソン・グレイシーvs.高田延彦20年目の真実~』(集英社インターナショナル)『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文藝春秋)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『柔道の父、体育の父 嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。

本人からの指摘を受け、杉山アナは「番組側で調べた資料では全て『生きてきた』となってましたが、ご本人から指摘があったので訂正させていただきます」とその場で問題を訂正。問題自体が誤っていたため、MCを務めるお笑いコンビ・南海キャンディーズの山里亮太(44)から「岩崎さん、そのアスリート精神ほんと素晴らしい。今の問題なかったことになります」と告げられると、岩崎氏は「それずるくないですか?」と大笑いしていた。

正解VTRが流れたが、テロップにも松田氏の回答通りに表示されており、同局の杉山真也アナウンサー(37)は「岩崎さん違いましたか?」と恐る恐る確認。岩崎氏が「『今まで生きてた中で』って言った。『生きてきた中で』って言ってない。みんな間違える」と訂正すると、スタジオは「すごい瞬間に立ち会いましたね」「歴史的」と驚愕した。

体操・内村航平が、まさかの鉄棒落下。競泳・400m個人メドレーでは瀬戸大也が想定外の予選落ち。波乱の幕開けとなった無観客開催での『TOKYO2020』。やはりオリンピックには魔物が棲んでいるのか─。

最初の種目(男子400メートル個人メドレー)で、瀬戸大也選手が決勝に残れないという予想もしていなかった事態が起きました。
レース展開をどう考えていたかは本人にしかわかりません。しかし、レース後のインタビューで語っていたように、予選で好記録を出したものの決勝では力を出し切れなかった前回のリオデジャネイロ大会のイメージがあったのでしょう。今回は、「予選で力をセーブして決勝に勝負を懸ける」という考えだったと思いますが、現実は勝負し切れず、その作戦ミスが命取りになりましたね。
本人いわく調子は悪くなかったようですし、実際にそういう印象を受けました。ただ、最後にペースを上げられなかったところを見ると絶好調ではなかった気はしますね。最後の自由形で追い上げられたときに、体が動けばそのまま逃げ切れる。だからやっぱり、「力を出し切れなかった」というのが正直なところだと思います。ラスト50メートルくらいまでは力をセーブしていたのが見ていてわかったので、「最終的に何がいけなかったのか」を本人も自問自答しているのではないでしょうか。
幸い、まだ2種目(200メートル個人メドレー、200メートルバタフライ)が残っています。過去に世界選手権でも似たような状況から優勝しているので、「切り替えができるタイプ」の選手です。起きてしまった結果は仕方がないですし、もう次を見据えるしかありません。私は彼のことを10代の頃から見てきましたが、「巻き返せる強さ」を持っている選手だと思っています。

1992年バルセロナ五輪・競泳女子200メートル平泳ぎで金の岩崎恭子さんが26日、自身のインスタグラムを更新。同日、東京五輪のスケートボード・ストリート女子で、日本の13歳・西矢椛(もみじ、ムラサキスポーツ)が15・26点で金メダルを獲得し、自身の14歳6日の最年少記録を更新したことに祝福のメッセージをつづった。

岩崎さんは「10代の若い選手たちが世界でどんどん活躍していく姿には感銘を受けてます。日本のスポーツ界にとっても競技力が上がっていく原動力になると思います。元アスリートとして嬉しい限りです」とつづった。

1992年バルセロナ五輪200メートル平泳ぎ、競泳史上最年少14歳で金メダル獲得。名言として残るインタビューも相まって、一躍、時の人となった。引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学し、水泳・着衣泳のレッスンやイベント出演を通して水泳の楽しさを伝える活動をしている。

2021最新 岩崎恭子似てる

2021最新 岩崎恭子似てる

7月23日に開会式を終え、本格的に競技がスタートした東京五輪。24日には競泳が初日を迎え、各種目に多くの日本人選手が登場した。女子400メートルリレー予選では、白血病を克服して五輪の舞台に立った池江璃花子(ルネサンス)が第2泳者として出場。しかし、惜しくも全体の9位となり決勝進出を逃した。
大橋悠依(イトマン東進)が女子400メートル個人メドレー決勝に、武良竜也(ミキハウス)が男子100メートル平泳ぎ準決勝に進出を果たすなか、メダル獲得を期待されていた瀬戸大也(TEAMDAIYA)は得意の男子400メートル個人メドレーでまさかの予選敗退。幕開けから大波乱が起こった。
そんな初日を、1992年バルセロナ五輪の金メダリストで、現在は競泳の指導者・解説者として活動する岩崎恭子さんに振り返ってもらった。

決勝前の集合場所。予選では目もくれなかったノールが話しかけてきた。「グッドラック」。14歳を牽制(けんせい)したのだろうか。そんな駆け引きが、岩崎はうれしかった。「私、世界記録保持者に意識されているんだ」

1992年バルセロナ五輪200メートル平泳ぎ、競泳史上最年少14歳で金メダル獲得。名言として残るインタビューも相まって、一躍、時の人となった。引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学し、水泳・着衣泳のレッスンやイベント出演を通して水泳の楽しさを伝える活動をしている。

◇岩崎 恭子(いわさき・きょうこ)1978年(昭53)7月21日生まれ、静岡県沼津市出身の43歳。日大三島—日大。92年バルセロナ五輪で200メートル平泳ぎに出場し、競泳史上最年少金メダリストに。96年アトランタ五輪にも出場し、98年に現役引退。02年にはJOC海外指導者研修で留学を経験。JOCでは事業広報専門委員などを歴任した。現在は日本水泳連盟で競泳委員を務めている。

岩崎氏が出場した1992年のバルセロナオリンピック、1996年のアトランタオリンピックが開催された時代は、日本はまだまだ世界から水を開けられてしまっていた。選手たちの主な目標は『決勝進出』。世界と肩を並べ、メダル争いをするという気持ちを持つには、その差が大きすぎた。

東京オリンピックでは池江璃花子選手(スポーツ科学部3年)の泳ぎもそうだが、本学水泳部女子キャプテンを務める長谷川涼香選手(同4年)に注目する。中学生のときから長谷川選手を見てきたという岩崎氏は、「メダルを狙える実力を持っている選手。ぜひ自己ベストを更新して、世界だけじゃなく、日本もあっと驚かせてほしい」と期待を寄せる。

最初の種目(男子400メートル個人メドレー)で、瀬戸大也選手が決勝に残れないという予想もしていなかった事態が起きました。
レース展開をどう考えていたかは本人にしかわかりません。しかし、レース後のインタビューで語っていたように、予選で好記録を出したものの決勝では力を出し切れなかった前回のリオデジャネイロ大会のイメージがあったのでしょう。今回は、「予選で力をセーブして決勝に勝負を懸ける」という考えだったと思いますが、現実は勝負し切れず、その作戦ミスが命取りになりましたね。
本人いわく調子は悪くなかったようですし、実際にそういう印象を受けました。ただ、最後にペースを上げられなかったところを見ると絶好調ではなかった気はしますね。最後の自由形で追い上げられたときに、体が動けばそのまま逃げ切れる。だからやっぱり、「力を出し切れなかった」というのが正直なところだと思います。ラスト50メートルくらいまでは力をセーブしていたのが見ていてわかったので、「最終的に何がいけなかったのか」を本人も自問自答しているのではないでしょうか。
幸い、まだ2種目(200メートル個人メドレー、200メートルバタフライ)が残っています。過去に世界選手権でも似たような状況から優勝しているので、「切り替えができるタイプ」の選手です。起きてしまった結果は仕方がないですし、もう次を見据えるしかありません。私は彼のことを10代の頃から見てきましたが、「巻き返せる強さ」を持っている選手だと思っています。

選手として、また取材する側としてもオリンピックに関わった岩崎氏は、東京オリンピックの競泳に注目していると話す。
「昔と違って、金メダルを狙える選手たちがたくさんいる、というのはとてもうれしいですよね。ほかの選手たちも、世界一を狙えるチームにいる、という誇りを持って臨んでもらいたいな、と思っています」

そして、選手たちにも岩崎氏からアドバイス。

予選2位で決勝へ。にわかに慌ただしくなる周囲をよそに、岩崎は満足感に浸っていた。「目標も達成できたし、『もう、いいや』って」。元々、無印の存在。「五輪という大会の重みも知らず、メダルを取りたいという欲もなかった」

岩崎氏の友人に、オリンピックを見てアナウンサーになりたい、という夢を持ち、それを叶えた人もいるという。視野を広げてみると、オリンピックというものは、新たな経験や目標が見つかる可能性を秘めている。アスリートだけではなく、見る人の世界も広げてくれるもの。それがオリンピックなのだ。

自身の経験を多くの人に伝え、同じように、悩んでいる人たちの助けになりたい。それも岩崎氏がこれから取り組んでいきたいことの一つだ。

「東京開催が決まった2013年から、多くの方々がオリンピックに接することがあったと思います。なかには今まで取り上げられなかった問題も、地元開催のオリンピックだからこそ、スポーツで起こっていることを自分事として捉え、考えるきっかけになったんじゃないかと思っています。

私は92年のバルセロナ五輪で金メダルを獲りましたが、大会前には全く注目されていなくて、プレッシャーや邪念は全くありませんでした。でも次のアトランタ五輪は大会前から注目されて、結局100、200メートルとも決勝に残ることができませんでした。その時に一番感じたのは「注目される中でメダルを獲れる選手はどれだけ強いんだろう」ということでした。心技体の全てが備わっていないと重圧を乗り越えて栄冠を手にすることはできないんです。日本が発祥ということで常に周りから金メダルを求められる柔道はそれだけで大変だと思いますし、その中で9個も金メダルを獲ったのですから本当に凄いことだと思います。

だが、2000年のシドニーオリンピックで四つのメダルを獲得したことで日本も大きく前進。一気に世界との差を詰めていき、今では日本人選手同士で世界一を争うまでになった。

2021最新 岩崎恭子名言間違い

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辛い日々を乗り越えて、岩崎恭子さんの今があるのではないでしょうか。

4年後の北京2008大会では、58秒91の世界新記録で同種目を連覇した。日本選手団の主将を担い、試合前には「世界記録で金メダルを獲得する」と自らを追い込んだ。その結果、新鋭のアレクサンドル・ダーレオーエン選手(ノルウェー)らを破り、公約を果たした。レース後にこみ上げるものを抑えながら放った「何も言えねぇ」も、北島さんの代名詞のひとつだ。

バルセロナ1992大会から5大会連続出場を果たした柔道女子48kg級の谷亮子さん。出場したすべての大会でメダル獲得という輝かしい実績を持つ。そんな谷さんの有名な言葉が、シドニー2000大会を前に語った目標「最高でも金、最低でも金」だ。

東京オリンピックでも、岩崎恭子さんは活躍されるかもしれませんね。

14歳で金メダル、本当にすごい偉業を成し遂げた岩崎恭子さんですが、その後はとても大変な日々だったと思います。
2年間の記憶がなく、「金メダルを取るんじゃなかった」と思うこともあったそう。

水泳から離れることはなく、2002年には海外指導者研究生としてアメリカにも留学し、指導者としての道を歩み始めました。

北島さんは4度目のオリンピックとなるロンドン2012大会に出場したが、個人種目ではメダルに届かなかった。迎えた競技最終日、男子4×100mメドレーリレーで第2泳者を務め、日本男子史上初となる銀メダルを獲得した。インタビューで北島さんの次を泳いだ松田丈志さんが語ったのが、「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」。

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TBS系人気番組「東大王 五輪直前SP」(水曜後7・00)が7日放送され、92年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎ金メダリストの岩崎恭子さん(42)が出演。これまで語られてきた自身の名言を訂正し、スタジオを騒然とさせた。

競泳で数々の名言を残してきたのは、シドニー2000大会から4大会連続出場を果たした北島康介さんである。「チョー気持ちいい」は、アテネ2004大会の男子100m平泳ぎで自身初の金メダルを手にした後に生まれた。高校3年生で出場したシドニー2000大会は4位入賞。そこから4年、ブレンダン・ハンセン選手(アメリカ)との競り合いを制すと、インタビューで喜びを爆発させた。

岩崎恭子さん「今まで生きてきた中で、一番幸せです」とは言っていなかった…「みんな間違えるんです」

過去2大会はいずれも銀メダルに終わっただけに、「なんとしても金」という思いを持ちシドニーへと向かった。決勝ではわずか36秒で一本勝ちと、これまでの悔しさを晴らす圧勝に「夢のようです」と笑顔を見せた。2003年に結婚して田村から谷へと苗字が変わったことから、「田村でも金、谷でも金」を公言し、アテネ2004大会で2大会連続の金メダル獲得している。

果たして東京2020大会では、人々の記憶に残る名言が生まれるのか。熱戦とともにアスリートら言葉も楽しみだ。