2021最新 内村航平 メダル獲得数

自他共に認めるオールラウンダー・内村が、4~6月の代表選考会は種目別の代表権を得るために鉄棒一本で挑んだ。酷使してきた体が、全種目を戦うには限界を超えていたからだ。

内村:いい意味で、体操に対して「適当」に考えられるようになりましたね。それまでは考えすぎていたというか、神経質なくらい体操に全てを注ぎ込みすぎていました。全ての行動や時間を体操に結びつけないと、強くなれないんじゃないかって。
2012年には金メダルはとれたものの、僕のなかではもっとやれただろうという歯痒さがあった。それで、あまり考えすぎるのもよくないんじゃないかと思えるようになったんです。

19歳で個人総合銀メダルのデビューを飾った2008年北京大会。圧倒的な強さで個人総合王者となった12年ロンドン大会。団体総合で初めて表彰台の中央に立った16年リオデジャネイロ大会――。体操ニッポンの伝統を背負い、「全6種目を演技してこそ体操選手」との信条を体現してきた。

内村:そうですね。高校の3年間も、ずっと体操をしていた記憶ばかり残っています。学校が終わったら制服のまま体育館に直行し、夜の10時まで練習。土日は朝から練習でした。東京に来たのは強くなるためで、遊ぶためじゃない。それに、やっぱり体操が一番の遊びでしたからね。多分、それはこの先も一生変わらないと思います。

オリンピック3大会(2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ)に出場し、個人総合2連覇を含む7つのメダル(金メダル3、銀メダル4)を獲得。
また、世界体操競技選手権でも個人総合での世界最多の6連覇を含む21個のメダル(金メダル10、銀メダル6、銅メダル5)を獲得している。国内大会ではNHK杯個人総合、全日本選手権個人総合ともに10連覇。

思い出すのは、いつもあの街。総勢20名が語るそれぞれの東京。みうらじゅん、東村アキコ、鈴木敏夫、加藤一二三、赤江珠緒への上京インタビューも収録!

内村:ハッキリとは覚えていませんが、僕が3歳のときに両親が体操クラブを始めて、そのころには自宅に併設された体育館に入り浸っていたと思います。友達と遊ぶのは週1回あるかないかで、学校から帰ったらずっと練習。だから、通学路での思い出以外はほとんど体操のことしか記憶に残っていません。

―― 内村少年にとっては、体操こそが一番楽しい「遊び」だったのでしょうか?

叔父の義信氏は1964年東京五輪の金メダリストで、父・義行氏は1968年メキシコ五輪の銅メダリストという重量挙げ家系に生まれたが、競技を本格的に始めたのは女子種目が追加された2000年のシドニー五輪がキッカケだった。「出し切った」と話した三宅は、大会前から表明していた通り、21年間の競技生活を終える。

内村:そのころは特に気にしていなかったけど、今振り返ると、どの街もすごくいい環境でした。特に高3のときの家は井の頭公園から徒歩20秒くらいでしたから。家の目の前が、広場みたいなところでしたね。吉祥寺駅にも歩いて行ける距離で、とても便利でした。当時は「なんでこんな線路の近くなんだろう」くらいに思ってたけど、じつは生活環境としてもかなり恵まれていたんですね。

[キングの鉄棒はなぜ最強か]内村航平「僕はやはりオールラウンダーなんだ」

暗闇に光をともしてくれたのは、18年夏に胃がんのため51歳で亡くなった高校時代の恩師、小林隆さんだった。19年の終わり頃、夢枕に立ち、「個人の金メダルは、団体よりも価値があるんだ」と告げられ、ハッとした。苦悩する教え子を見かねて、天国から道を示してくれたのだと思った。

内村:3年前に合宿で訪れたオーストラリアのブリスベンですね。それまでにも世界中のさまざまな国へ行きましたが、住みたいと思ったのはブリスベンが初めてです。気候も温暖だし、中心部から少し離れたところに泊まったんですけど、ちょっと歩けばショッピングモールがあって何の不自由もなかったです。ちょっとだけ、草加に似ているかもしれません。

内村:所属先の社会人体操競技部の体育館が草加市にあったので、すぐ練習に行ける場所を第一条件に探しました。というか、僕の家探しの条件はずっとそれしかないんですよね。体育館まで車で15分以上かかるところは絶対に嫌です。移動している間に練習に臨む集中力が切れてしまいそうなので。ただ、高校のときもそうでしたが、結果的にどの街も暮らしやすかったと感じています。

東京五輪の聖火リレーが9日、東京に入り、点火セレモニーが町田市内で行われた。1964年東京五輪の選手団主将を務め、体操男子で団体総合金メダルを獲得した小野喬(89)さんは、「昔のことを思い出しながら走りました」と感慨深げで、体操男子で鉄棒に出場する内村航平(32)=ジョイカル=に「ぜひとも金メダルを取って日本の皆さまに喜んでいただくことを心から願っています」とエールを送った。