2021最新 丸岡いずみ病気

初期症状としてニュース原稿の漢字を読めなくなっていた丸岡。医師から「うつ」と診断されても、受け入れることができなかった。「うつ病はやる気がなくなって落ち込んだりすると思っていた。まさか自分がと思わず、疲れていると思った」。その原因は東日本大震災の現場取材での「大惨事急性ストレス障害」。「精神を強く持てば治る」と思いこみ、医師から処方された薬は飲まずに捨てていた。

「休むことも生きること」と話す丸岡。うつ病の苦しみから戻ってきた彼女の言葉は、日常に忙殺されて自分を見失いがちな人の心に響くのだろう。

元日本テレビニュースキャスターの丸岡いずみが6日、都内で行われた著書「仕事休んでうつ地獄に行ってきた」の発売記念トークショーに出席した。イベントでは、丸岡の夫で映画コメンテーターの有村昆からの手紙がサプライズで読み上げられ、丸岡が涙を浮かべる一幕もあった。

丸岡がうつ病を発症したのは40歳のとき。ニュースキャスターとして抜擢され、これまでと全く違う環境で働き始めたころで「自分が夕方の帯のニュースキャスターになるとかって全く思いもなかった」「すごく頑張らなきゃというのはあった」と当時を振り返った。そんな中、次第に眠れない日や連日下痢が続くなどの症状が表れはじめ、ついには一睡もできない状態が一週間以上も続く事態に陥った。しかしうつだとは思わず、体調不良だと思い込み誰にも相談しなかった結果、ある日全身に悪寒が走り、思考もままならない状態で番組をなんとか乗り切る状況に。その後丸岡はニュースキャスターを降板、1年半テレビから姿を消した。

北海道の局アナから、キー局の看板ニュースキャスターへと転身し、「情報ライブ ミヤネ屋」「news every.」などの出演で人気を集めた丸岡。しかし、そんな順風満帆だったキャリアは、東日本大震災を境に大きく変ぼうを遂げた。震災発生直後に陸前高田市に取材に入った丸岡は、悲惨な現場を目の当たりにしたことをきっかけに、うつ病を発症。番組を降板し、故郷の徳島県で「死にたい」という思いにとらわれる日々を過ごしていたという。

うつ病は、周囲が心配し過ぎると、それが重圧となって症状が悪化することが多い。丸岡は「あくまでも病気の一つとして、見守ってもらえたらいいなって感じです」と、うつ病患者に対する適切な対応を呼びかけた。

映画コメンテーター・有村昆(45)とフリーキャスターの丸岡いずみ(49)が29日、都内区役所に離婚届を提出し協議離婚が成立したことを事務所を通じて発表した。2人は12年に結婚。代理母出産や、有村のホテル密会騒動などを経ての離婚となった。

11日放送のTBS系「爆報!THE フライデー」(金曜・後7時)に、元日テレ・キャスターの丸岡いずみ(46)、映画コメンテーター有村昆(41)の夫婦が出演。11年に丸岡が重度のうつで強制入院させられていたことが取り上げられた。

宮根さんとのやりとりが面白いと話題となった丸岡いずみさん。

丸岡は「うつヌケ」法の1つとして「素直に相談できる相手を見つける」を挙げた。丸岡にとって、良き相談相手は両親だったという。実家で「もうやだ、死にたい」と嘆いていると、母親に「大変ねぇ」とあっさりとした対応を取られたエピソードを交え「うつ病の症状に対して『あなたがいなくなったら!』などの対応を取られていたら、家にいても逆に疎外感を感じてしまう。病気の一つとして見守ってもらえたら」と語った。

その後、丸岡は2度の流産、不妊治療を経て、代理母出産で18年1月に男児を授かった。代理母はロシア在住の女性で、男児もロシアで生まれた。誕生後に日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」に出演した有村は号泣。「出産後に代理母の方と会いました。ほんっとに、ハグして…丸岡もわんわん泣いて…」と、泣きながら代理母と会った時の感激を語っていた。

その後、2人はブログで長男の成長をほほえましくつづるなど、家庭円満と思われたが、今年5月、写真週刊誌に有村が丸岡ではない別の女性とラブホテルで密会していたと報じられ、活動自粛に。テレビ、ラジオで5本のレギュラーを抱えていたが降板となった。

そんな状況を支えたのが、後に夫となる有村だった。「彼からは毎日のように励ましの言葉をかけてもらった」という丸岡は「特にうつ病の方が困るのは、心配しています、今すぐ連絡をくださいと言われること。でも連絡ができないからこそうつ病なんです。せかされると焦ってしまうけど、有村は連絡ができないのはわかっているから、メールは返さなくていいと言ってくれました」と述懐する。

この日は、その有村からの手紙がサプライズで読み上げられた。「本の出版、自分のことのように感慨深く感じています。知り合った頃はいずみん(丸岡)がうつ地獄の入り口に立っているときでした。そのときからそばで見てきましたが、このようなトークショーを開かせていただけるまでに回復するなんて、本当に夢のようです」という書き出しで始まる手紙には、病気回復を祈願するために50か所以上の神社をお参りしたこと、幸せな結婚生活の喜び、そして穏やかな日常が訪れた奇跡に対する感謝の思いなどがつづられていた。