2021最新 大橋悠依自宅

5年前とは風景が一変した。競泳の東京五輪日本代表選考会を兼ねる日本選手権が4月3~10日に東京アクアティクスセンターで開催される。五輪代表入りには決勝レースで日本水連が定める派遣標準記録を突破して2位以内に入ることが条件。200mと400mの個人メドレーに出場する大橋悠依(25=イトマン東進)は「派遣標準記録には正直、余裕があるので、普段通りのことをやれば切れると思う。しっかり五輪本番を想定してレースをすることが大事になる」と世界を見据えている。

柔道の女子70キロ級は、前回のリオ五輪には出場できなかったものの、2017、2018年の世界選手権を制した新井千鶴選手が出場。男子90キロ級は向翔一郎選手が出場する。

日本選手権はあくまで通過点。目標は東京五輪でのメダル獲得で「金メダルに近いのは200(m個人メドレー)より400(m個人メドレー)だと思っている」と自己分析する。最大のライバルとなるカティンカ・ホッスー(31=ハンガリー)は’16年リオ五輪で樹立した世界記録を最後に自己ベストから遠かっており、大橋が頂点に立つチャンスは十分にある。

日本女子を引っ張る存在になったが、’18年夏以降は苦悩の日々が続いた。大学1年時に痛めた左膝の古傷の影響から左足に力が入らず泳ぎのバランスが崩れた。’19年世界選手権光州大会は2大会連続メダルを狙った200m個人メドレーで、平泳ぎの泳法違反により失格。400m個人メドレーは銅メダルを手にして意地を見せたが、長水路(50mプール)では日本記録でもある自己ベストは200m個人メドレーが’17年7月、400m個人メドレーは’18年4月から更新できていない。

日本女子のエース格だが、五輪出場経験はない。滋賀県で過ごした中学、高校時代は目立った成績はなく、東洋大進学後も左膝の脱臼や重度の貧血に悩まされた。大学2年時の’15年日本選手権は200m個人メドレーで最下位の40位に低迷。一時は競技から退くことも頭をよぎったが、食生活の改善などで貧血を克服して迎えた翌’16年日本選手権の400m個人メドレーで3位に入った。2位以内に与えられる’16年リオデジャネイロ五輪出場権に迫り「4年後は絶対に五輪に出たい」と東京五輪への想いが芽生えた。

ISL後は’16年リオ五輪400m個人メドレーで8位入賞の清水咲子(28=ミキハウス)が大橋と同じ平井伯昌コーチの指導を受けることになり、一緒に練習に励んでいる。本命種目が同じライバルだが、練習中に水中でお互いの泳ぎを見てアドバイスを送り合うなど良い関係を築いている。

女子日本代表のキャプテンも務める大橋さん。間近に迫った東京五輪に向け、大きな期待を背負って今年の世界選手権に出場しましたが、200メートル個人メドレー決勝では、泳法違反によってまさかの失格。レース後に号泣するなど、失意のどん底を味わいました。

一躍注目を集めたのが’17年日本選手権。400m個人メドレーで日本記録を3秒24も更新して初優勝を果たした。初の世界舞台となった同7月の世界選手権ブダペスト大会では200m個人メドレーで銀メダルを獲得。東京五輪のメダルの有力候補として脚光を浴びた。当時21歳。10代で活躍する選手も多い競泳界で、遅咲きのヒロインが誕生した。

競泳女子400メートル個人メドレーで大橋悠依(25=イトマン東進)が4分32秒08で金メダルを獲得した。日本勢が女子個人メドレーでメダルを獲得するのは2000年シドニー五輪400メートル個人メドレーで銀メダルの田島寧子以来2人目となった。

第3コースで泳いだ大橋は、2泳法目の背泳ぎでトップに立つと、続く平泳ぎでさらに差をに広げ、自由形で逃げ切った。
レース直後には涙も流れたが、チームメートの顔を見ると、再び笑顔が広がった。「不安もあったが、昨日いい泳ぎができたので、とにかく自分のレースをしようと思って、自分を信じて泳ぎました。自分が金メダルを獲れるなんて、本当に思ってなかったので。ここにくるまで色々なことがあったが、ここにチャレンジさせてもらえて感謝していますし、ここで力を出し切れるように色々な方が支えてくださったので、感謝しています」と話した。
24日夜の予選で出した4分35秒71から3秒以上タイムを縮めた。「タイムも日本新(4分30秒82)出して以来の結構速いタイムだと思うので、朝のこの時間にこのタイムで泳げて、やってきたことは間違ってなかったと思う。楽しいレースができた」と会心のレースだった。
「みんな応援してくれて、自分が暗くなって1人になっちゃうときも、色々な人が声をかけてくれて、本当にチームに支えられていると思っている。みんなが応援しにきてくれて、すごい力が出せました」と笑った。
13年9月に東京が開催地に決まった時は高校3年。「ボランティアやトレーナーなど何らかの形で関われればいいな」と思っていた。中、高校時代は目立った成績はなく、東洋大進学後も左膝の脱臼や重度の貧血に悩まされた。大学2年時の15年日本選手権の200メートル個人メドレーは最下位の40位に低迷。引退して公務員になることを本気で考えたが、投薬治療や食生活改善で貧血を克服すると、一気にタイムが伸びた。17年に初めて日本代表に入り、世界選手権で銀メダル。一躍、日本女子のエース格となった。
昨年9月から左右の筋力を均等にするトレーニングに取り組んできた。泳ぎの左右のわずかなバランスを気にする繊細な性格の持ち主。今月初旬、精神状態は最悪だった。6月下旬に実施した本番を想定したタイムトライアルで低調な記録に終わり、近い関係者に「メダルが獲れないので五輪に出たくない」と漏らした。五輪直前に信頼を置くトレーナーによる体のメンテナンスを受け、水中動作の感覚が一気に好転。ギリギリで本番に間に合わせた。
大橋にとって初めての五輪。「まだ夢みたいなんですけど、泳いでいてすごい楽しくて、それが自分が水泳をやっているすべてだと思う。頭を切り替えて200も頑張りたいと思う」。200メートル個人メドレーへも大きな自信を手にした。
◇大橋 悠依(おおはし・ゆい)1995年(平7)10月18日生まれ、滋賀県出身の25歳。世界選手権は17年に200メートル個人メドレーで銀メダル、19年は400メートル個人メドレー3位。滋賀・草津東高、東洋大出、イトマン東進。1メートル74、57キロ。

昨年10月の日本短水路選手権の200m個人メドレーで自身の持つ日本新記録を約2年ぶりに更新すると、東京に拠点を置くチームの一員として出場した11月の国際リーグ(ISL)でも200m個人メドレーで日本新を連発。ともに五輪とは違う短水路(25mプール)の大会ながら着実にタイムを伸ばし「ISLで自己ベストが出たのは自信になった。やってきたことが間違いなかったと確認できた」と自信を取り戻した。

競泳は女子200メートル個人メドレー・決勝に、400メートル個人メドレーで金メダルを獲得した大橋悠依選手が出場。2冠目となるか注目される。