2021最新 岩崎恭子タイム

1992年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎ金メダルの岩崎恭子氏(43)が、競泳女子の大橋悠依(25=イトマン東進)にさらなる期待を寄せた。
大橋は25日の400メートル個人メドレーで金メダルを獲得すると、28日の200メートル個人メドレーでも接戦を制した。夏季五輪の日本女子選手として初めて2冠を達成し「競泳は個人で何種目も出られる競技なので、チャンスがあるのはありがたいなと思います。ただ、史上初という実感がないのでビックリしています」と神妙に語っていた。
歴史に名を刻んだ大橋の泳ぎについて、岩崎氏は「本人も話していましたが、400(メートル個人メドレー)で勝ったことですごく余裕があったと思う。あとは作戦を立てる上で、非常に平井(伯昌)先生もしっかりとアドバイスしたと思うし、作戦はすごく当たっていた」と振り返った。
競泳女子界の歴史に新たなページを刻んだ大橋。来年5月には世界選手権(福岡)を控えていることから「追いかけられる立場になったと思うが、そこでもう一度2冠を達成してもらうと、またさらに強さを見せられるんじゃないかな」とエールを送った。

北島さんは4度目のオリンピックとなるロンドン2012大会に出場したが、個人種目ではメダルに届かなかった。迎えた競技最終日、男子4×100mメドレーリレーで第2泳者を務め、日本男子史上初となる銀メダルを獲得した。インタビューで北島さんの次を泳いだ松田丈志さんが語ったのが、「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」。

表彰台に上がった3人の平均年齢は14歳191日で、五輪史上最年少となった。最も若い金メダリストは、1936年ベルリン大会の飛板飛込のマージョリー・ゲストリング(13歳267日)で、西矢より63日先んじている。レアウが優勝していれば、13歳203日で最年少記録の更新だった。

西矢の13歳でのメダル獲得は、日本の最年少記録。これまでは、1992年バルセロナ五輪の競泳女子200メートル平泳ぎで金メダルを取った、岩崎恭子の14歳が最年少だった。

決勝には20人の予選を勝ち抜いた8人が進出。日本勢は出場3人全員が残った。

1992年バルセロナ五輪女子200メートル平泳ぎ金メダルの岩崎恭子さん(43)が25日、TBS系「サンデー・ジャポン」(日曜・午前9時54分)に生出演した。
番組では、東京五輪の男子400メートル個人メドレー予選で瀬戸大也が予選落ちしたことを報じた。
岩崎さんは「競泳の一番最初の種目だったので、テレビを見ていてその後、落ち着いて見られないぐらい動揺を私もしてしまった」とまさかの予選落ちに衝撃を受けた明かした。「元々、力を持っていましたし、泳ぎを見ても調子もよかったと思う。レース後も肩で息をしているような感じもなかったので、やっぱりインタビューでも言っていたんですけど、リオ五輪の時に予選を頑張って決勝で力を出し切れなかった。次の日のために力を温存しようと思っていた」と力を温存したのが裏目に出たとし、「今回は予選が午後に行われたので、みんな体が動くのでタイムがハイレベルだった。他の選手も強かったというのもありますけど、瀬戸選手はちょっと力を出し切れなかった。ペース配分のミスだったかな」と敗因を分析した。
決勝へ力を温存しながらレースをすることには「(決勝へ余力を残しながら泳ぐのは)瀬戸選手くらいのレベルになると出来る」としたが、「決勝に進まないと何もならないので、出来る選手なんですけど他の選手も速かったですし、もう少し上のレベルで泳がなければ(厳しい)」と予選突破レベルを見誤ったと指摘した。

競泳で数々の名言を残してきたのは、シドニー2000大会から4大会連続出場を果たした北島康介さんである。「チョー気持ちいい」は、アテネ2004大会の男子100m平泳ぎで自身初の金メダルを手にした後に生まれた。高校3年生で出場したシドニー2000大会は4位入賞。そこから4年、ブレンダン・ハンセン選手(アメリカ)との競り合いを制すと、インタビューで喜びを爆発させた。

7月23日に開会式を終え、本格的に競技がスタートした東京五輪。24日には競泳が初日を迎え、各種目に多くの日本人選手が登場した。女子400メートルリレー予選では、白血病を克服して五輪の舞台に立った池江璃花子(ルネサンス)が第2泳者として出場。しかし、惜しくも全体の9位となり決勝進出を逃した。
大橋悠依(イトマン東進)が女子400メートル個人メドレー決勝に、武良竜也(ミキハウス)が男子100メートル平泳ぎ準決勝に進出を果たすなか、メダル獲得を期待されていた瀬戸大也(TEAMDAIYA)は得意の男子400メートル個人メドレーでまさかの予選敗退。幕開けから大波乱が起こった。
そんな初日を、1992年バルセロナ五輪の金メダリストで、現在は競泳の指導者・解説者として活動する岩崎恭子さんに振り返ってもらった。

果たして東京2020大会では、人々の記憶に残る名言が生まれるのか。熱戦とともにアスリートら言葉も楽しみだ。

4年後の北京2008大会では、58秒91の世界新記録で同種目を連覇した。日本選手団の主将を担い、試合前には「世界記録で金メダルを獲得する」と自らを追い込んだ。その結果、新鋭のアレクサンドル・ダーレオーエン選手(ノルウェー)らを破り、公約を果たした。レース後にこみ上げるものを抑えながら放った「何も言えねぇ」も、北島さんの代名詞のひとつだ。

1992年バルセロナ五輪200メートル平泳ぎ、競泳史上最年少14歳で金メダル獲得。名言として残るインタビューも相まって、一躍、時の人となった。引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学し、水泳・着衣泳のレッスンやイベント出演を通して水泳の楽しさを伝える活動をしている。

最初の種目(男子400メートル個人メドレー)で、瀬戸大也選手が決勝に残れないという予想もしていなかった事態が起きました。
レース展開をどう考えていたかは本人にしかわかりません。しかし、レース後のインタビューで語っていたように、予選で好記録を出したものの決勝では力を出し切れなかった前回のリオデジャネイロ大会のイメージがあったのでしょう。今回は、「予選で力をセーブして決勝に勝負を懸ける」という考えだったと思いますが、現実は勝負し切れず、その作戦ミスが命取りになりましたね。
本人いわく調子は悪くなかったようですし、実際にそういう印象を受けました。ただ、最後にペースを上げられなかったところを見ると絶好調ではなかった気はしますね。最後の自由形で追い上げられたときに、体が動けばそのまま逃げ切れる。だからやっぱり、「力を出し切れなかった」というのが正直なところだと思います。ラスト50メートルくらいまでは力をセーブしていたのが見ていてわかったので、「最終的に何がいけなかったのか」を本人も自問自答しているのではないでしょうか。
幸い、まだ2種目(200メートル個人メドレー、200メートルバタフライ)が残っています。過去に世界選手権でも似たような状況から優勝しているので、「切り替えができるタイプ」の選手です。起きてしまった結果は仕方がないですし、もう次を見据えるしかありません。私は彼のことを10代の頃から見てきましたが、「巻き返せる強さ」を持っている選手だと思っています。

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