川淵三郎

2021年令和3年 川淵三郎 挫折

2021年令和3年 川淵三郎 挫折

これらのような切り方は小学校低学年の子どもたちや知的障害をもった子どもの中にも時々みられますので、この図自体は問題ではないのです。問題なのは、このような切り方をしているのが強盗、強姦、殺人事件など凶悪犯罪を起こしている中学生・高校生の年齢の非行少年たちだ、ということです。彼らに、非行の反省や被害者の気持ちを考えさせるような従来の矯正教育を行っても、殆ど右から左へと抜けていくのも容易に想像できます。犯罪への反省以前の問題なのです。またこういったケーキの切り方しか出来ない少年たちが、これまでどれだけ多くの挫折を経験してきたことか、そしてこの社会がどれだけ生きにくかったことかも分かるのです。

東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(83)は11日、女性蔑視と受け取れる自身の発言を巡り辞任する意向を固めた。国内外での批判の高まりを受けて判断した。森氏は日本サッカー協会元会長の川淵三郎氏(84)と会談して後任を打診し、川淵氏は受諾する考えを示した。

川淵氏は森氏との会談後、日本経済新聞の取材に「選ばれれば一生懸命頑張る。世界中からの評価につながる五輪にしようと日本国民に呼び掛け…

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2021年令和3年 川淵三郎 ジーコ

2021年令和3年 川淵三郎 ジーコ

試合終了後ジーコはPKの判定に意義を唱え、FIFAの審判割り当てについても非難する。そしてジーコの審判批判は、06年のWカップまで何度も繰り返されることになる。3試合目のコロンビア戦では宮本恒靖のパスミスから1点を失い敗戦、予選リーグで大会を去ることになった。この大会の試合内容は決して芳しいものではなく、日本の問題点は少なくなかった。

4月から6月にかけ、ジーコジャパンは欧州遠征を行なった。この遠征で日本代表は、ハンガリー・チェコ・イングランドなどの強豪と互角にわたり合う。特にチェコ戦では、久保竜彦がスーパーシュートを決め1-0で勝利する。この遠征での試合内容が良かったため、ジーコに向けられていた批判は一時収まることになる。

ジーコの日本代表監督就任はサポーターの歓迎を受けたが、一方で全く監督経験のない彼の手腕に不安の声もあがった。その新監督の力量を測る最初の試合が、10月にジャマイカを招いて行なわれた親善試合だった。ジーコはこの試合で、中田英寿・中村俊輔・小野伸二・稲本潤一の4人を先発起用する。トルシエ時代には決して実現することのなかった、黄金の中盤である。

ジーコ監督がドイツに臨む代表メンバーを発表。巻誠一郎がサプライズで発表されたが、彼の名前が大黒将司の後だったから、つながってオオグロ・マキ、大黒摩季と変化して……というのは事実とは異なる。ジーコは「ヤナギサワ、タマダ、マキ」と、玉田圭司の後に巻の名を読み上げている。

東京オリンピックまで1年をきり、テレビやインターネットで盛んに宣伝されるオリンピックのチケットプレゼント。多いものでは1万2020枚、ほかにも2020枚、1000枚、100枚、50枚とたくさんの企業がプラチナチケットをぶらさげて宣伝を繰り返している。こうしたチケットをつかったプロモーションは、もちろんどんな企業でもできるものではない。ワールドワイドオリンピックパートナーと呼ばれるIOCのスポンサー、そしてゴールドやオフィシャルという呼び名で区分けされる東京大会のスポンサーに限られているのだ。

ファルカンが僅か8ヶ月で日本代表監督を解任されると、強化委員長の川淵三郎は加茂周を次の代表監督に選んだ。加茂監督は、日産自動車を県リーグから…

ジャマイカとの試合は1-1の引き分けに終わる。攻撃的な選手を揃えたこの中盤は、あまり機能したとは言えなかった。しかしジーコは安易なメンバー替えを嫌い、連携が自然に出来あがるのを待った。そして選手たちの自主性を重んじ、彼らにあまり細かい指示を与えることもなかった。

2002年の日韓Wカップが終了すると岡野俊一郎がサッカー協会会長職を退き、川淵三郎が後任の会長となった。新会長のもとには技術委員会から後任監督候補のリストが届いたが、川淵はそれを無視する。川淵が独断で選んだトルシエ監督の後任は、鹿島アントラーズのテクニカル・ディレクターを務めていたジーコ(本名、アルトゥール・アントゥネス・コインブラ)だった。

日本は初戦で格下のニュージーランドを3-0で下し、2戦目はメンバー落ちのフランスと戦った。日本は主力のいないフランスと互角の戦いをするが、前半終了間際に稲本のファールがPKとなり先制点を許してしまう。だが59分、中村が鮮やかなFKを決めて1-1と追いつく。だがその直後フランスに勝ち越し点を決められ結局1-2と敗戦を喫した。

男子バスケットボール日本代表が開催国枠で44年ぶりとなるオリンピックへの出場を決めた。得点力のある210センチのニック・ファジーカス(川崎ブレイブサンダース)の日本国籍取得とともに、多くの関係者が要因の1つとして挙げたのは国内のBリーグの成長だった。

ドイツで前向きな結果を残すことができなかったジーコ監督率いる日本代表。その帰国会見で、当時の日本サッカー協会会長・川淵三郎キャプテンがコメント中に口を滑らせ、次の代表監督候補を漏らしてしまうという“世紀の失言”。当時まだジェフ千葉監督だったイビチャ・オシム監督を、日本協会が結果的に強奪するような形で日本代表監督就任が決まってしまった。

04年2月には、早くもドイツWカップに向けた1次予選が始まった。この頃代表の中心選手はほとんど海外でプレーしていたが、コンディションの善し悪しにかかわらずジーコは海外組を重用した。おのおののコンディションにばらつきのある代表チームは、格下相手にも苦戦を強いられていた。孤高を貫く中田と他の選手の間で険悪な空気も漂い出すが、チーム内の不協和音にジーコは関わろうとしなかった。

そんな中代表合宿中に宿舎を抜けだし、キャバレーで騒いだ選手たちの行ないが週刊誌によって明らかになる。これをチームに対する裏切り行為と受け取ったジーコ監督は激怒し、当該の7選手を一時代表から外すことになる。特に問題視された大久保は、その後ジーコジャパンでほとんど起用されなくなる。

2021年令和3年 川淵三郎 時期尚早

2021年令和3年 川淵三郎 時期尚早

電通グループが15日発表した2020年12月期連結決算は、純損益が過去最大となる1595億円の赤字だった。海外事業でブランド価値を示す「のれん代」の減損処理を迫られたのが響いた。

14日に始まったNHK大河ドラマ「青天を衝け」の初回視聴率(総合テレビ)が関東地区で20・0%、関西地区で18・9%だったことが15日、ビデオリサーチの調べで分かった。

JR東日本によると、地震で損傷した東北新幹線の電柱は約20本あり、いずれも2011年の東日本大震災後に進めている耐震対策は未実施だった。実施済みの電柱に被害は確認されていないとしている。

20年の実質GDPによると、個人消費は前年比5・9%減、輸出は12・3%減。

20年の実質GDPの悪化幅は、新型コロナウイルス感染拡大により、1955年の統計開始以降で過去2番目の大きさとなった。最大はリーマン・ショックの影響を受けた09年の5・7%減。

京都府と京都市は14日、新型コロナウイルスに感染していた2人が死亡、20人が感染したと発表した。

「信じてほしいが、決して時期尚早ではない。彼はあなたを驚かせるよ。私が保証する」私はこれらの言葉を冬の間に何度も言った。彼のF2シーズンがどうだったか私が説明する必要はない。なぜなら私たち全員がよく知っているからだ。

かつて田んぼだった場所に集団で移転し、新しい家々が並ぶ市内の二子団地では、「約320世帯が故郷に住めなくなり、移り住みました」との音声が流れ、復興状況を見ることができる。ほかに入院患者ら60人以上が亡くなった市立雄勝(おがつ)病院跡地や、女川町の商店街「シーパルピア女川」など被害が大きかった建物の跡地や復興した場所などがルートに盛り込まれている。

20年10~12月期の実質GDPによると、設備投資は前期比4・5%増、輸出は11・1%増。

2021年令和3年 川淵三郎 人物

2021年令和3年 川淵三郎 人物

もっとも川淵氏は単なる野人ではない。広く目配りをして、大企業や行政・地方自治体の顔も立てる「ソツのなさ」を高レベルで持つリーダーだ。豪腕と「細心さ」を併せ持つハイブリッドだからこそ、今もスポーツ界において頼られる存在となっている。ただそんな彼も今回は失敗を犯した。令和の日本はソツがなく、無難なタイプでないと生き残れない。改革者は得てして強引でクセが強いものだが、そのような個性派は減っている。

しかも、この中で川淵氏は森氏に相談役への就任を要請し、森氏も「一緒に成功させるために努力したい」と受諾の意向を示したという。

ただし日本はオリンピックムーブメントが盛んな社会で、過去にはIOCの委員や幹部として活躍した人材を何人も輩出している。例えば猪谷千春氏はコルティナ・ダンペッツォ冬季五輪の銀メダリストで、IOC副会長を務めた。故人だが岡野俊一郎・元日本サッカー協会会長もIOC委員を務め、スポーツ外交で活躍した人物だ。

バレーボールの故・松平康隆氏も名指導者であり、なおかつメディアや企業を巻き込むプロデュース力を持ち、国際バレーボール連盟を主導する外交力も持った人物だった。

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更に森喜朗会長が女性蔑視発言で辞任に追い込まれ、開催まで半年を切った状態でのTOP交代という異常事態。更に後任は川淵三郎氏が務めると報じられていましたが一転して白紙になったという報道もされまました。

2016年の東京五輪招致にかかわった国士舘大学客員教授の鈴木友幸氏は「最初から女性、男性ではなくて、この人物が素晴らしいというところから始まって、結果的に女性になってもいいんです。政治家はやめてほしいです」

しかし野人は、国内でつまずきやすい。平成以後の日本はインターネットを通した拡散力もあり、大衆の圧が強い。川淵氏についていえば自らの会長就任を前提にコメントを出し、森前会長のアドバイザー就任に言及したことが世論や官邸の反発を呼んだ。慎重に外堀を埋め、既成事実化を進めてからメディアに出す――。それが令和日本の作法かもしれない。

川淵氏は’58年、早稲田大学在学中にサッカー日本代表に選出、’64年に開催された東京五輪では代表選手として出場。現役引退後は『Jリーグ』や『Bリーグ(日本バスケットボールの新リーグ)』の発足に努めるなど、スポーツ界の重鎮である。

しかし、後任が川淵氏になろうとしていた時点では、マスコミ内でも懐疑的な意見を持っていた者も少なくない。

筆者はバスケットボール界の改革を取材する中で、記者会見の出席やインタビューで川淵氏と接点があった。当時のコメントを読み返せば分かるのだが、この手のリーダーとしては異例なほど正直に、自らの思考や事実関係をさらけ出すオープンマインドの持ち主だった。日本に厳しい制裁処分を下した国際バスケットボール連盟(FIBA)に対して臆せず主張をぶつけ、程よい着地点に改革を誘導した。

2月3日の日本オリンピック委員会(JOC)の評議員会の場で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」という女性蔑視ともとれる発言をしたことの責任をとるかたちとなった。後任として起用の最終調整に入っていたのが、日本サッカー協会(JFA)相談役の川淵三郎氏。11日に森氏と面会し、就任に前向きな姿勢をみせ、「(解任するのは)気の毒だ」と涙ながらに語ったというが、翌日に事態は一転。
政府がこの“引き継ぎ”に難色を示し、就任は白紙となったという──。

川淵氏も大阪府立三国丘高校を卒業後、20歳になってから早大OBから声をかけられて「二浪」して進学した変わり種だ。東京五輪に出場したサッカー選手だが、古河電工時代は社業でも活躍していた。50代前半で会社を離れてサッカー界に転じ、Jリーグの立ち上げを主導した。サラリーマン経験者ではあるが、会社の枠からはみ出た異端児だ。

まるで”呪われた五輪”ともいうべきオリンピックですが、あの人物が去年の3月にこのような状況を予言していたというのです。

会長人事については日本政府、IOC、組織委によるややこしい「綱引き」があるはずだ。形式的にはまず会長候補選考委員会を設置し、その人物を理事会が承認するプロセスで新会長が決まるようだ。とはいえ誰を候補にするのか、然るべき人物が引き受けるのかという問題がまずある。

2021年令和3年 川淵三郎 吉岡たすく

2021年令和3年 川淵三郎 吉岡たすく

森喜朗会長の女性蔑視の問題発言により、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長後任は、現在組織委評議員会議長を務めている川淵三郎氏になるとのことですが、川淵三郎氏は現在なんと84歳!

【記者フリートーク】川淵さんがいつも目を細めて話すのが、恩師で児童文学家の吉岡たすくさん(故人)のことだった。吉岡さんは川淵さんが小4のときに担任となり、演劇部を作り、自宅で子供たちに演劇を教えた。川淵さんも演劇を始め、大好きだったという。

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この頃、川淵氏自身も「三国丘クラブ」というチームででプレイし、都市対抗サッカー大阪府予選決勝で大阪サッカークラブに負けてはいますが、大阪サッカークラブの設立者で日本代表だった川本泰三さんから「早稲田大学にぜひ推薦したい」と言われ、早稲田大学志望に変更したと言われています。

そしてその吉岡たすくさんが出演していた「NHKラジオの放送劇」に高校まで出演していたという経歴もお持ちでした。

今でも素敵なお顔立ちの川淵三郎氏ですが、若い頃は元サッカー選手で現役時代にはサッカー日本代表として前回の1964年の東京オリンピック出場経験もあります。

また、川淵氏はもともと運動神経が良かったので、高校のハンドボール部の新人戦にかり出され、得点を何点も獲得する活躍をされていたと言われておりました。

川淵三郎氏は今でも素敵ですが、若い頃は相当おモテだったのかと感じます。

そして高校3年に全国高校サッカー選手権でベスト8になり、川淵さんは新聞で「超高校級FW」とも記載されました。

そこで気になるのは、川淵三郎氏の若い頃の活躍や当時の顔画像(写真)ではないでしょうか?

コンクールにも参加し、中学生になっても活動を続けてNHKラジオの放送劇に何回も出演している。三国丘高に進んでサッカーを始める傍ら演劇も続けていたが、この頃ショックを受ける出来事があったという。当時は録音機材がなく、ラジオは生放送ばかりだったが、次第に録音放送が普及し、ある日川淵さんは初めて自分の声を聞き、「もっとシャキッとした声だと思っていた。本当に俺の声か」と思ったという。

こちらの右から2人目が川淵三郎さんです。

川淵三郎氏はとても有能な方ですが、会長後任人物の決め方にも疑問がありますし、またオリンピックをやろうとしていることにも不安を感じる方がとても多いのです。

川淵三郎氏は元々は地元関西の大阪大学を目指していたと言われていますが、浪人時代はサッカーが好きすぎて、予備校にも行かず、高校に行き毎日後輩とサッカーをしてたそうです。

2021年令和3年 川淵三郎 yahoo

2021年令和3年 川淵三郎 yahoo

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)が辞任し、後任に川淵三郎氏(84)の就任がほぼ決定、今日にも会見が行われる模様だ。
森喜朗前会長にとっては、女性蔑視発言が国際社会をも巻き込んだ批判を浴びたうえ、IOCや東京都知事にまで露骨に引導を渡される態度を取られたのも決定的だった。
新型コロナウイルスがまだ収まることがない状況で、開催が危ぶまれながらも、ここまで招致の段階から主導的な立場で関わってきた森前会長からすれば無念だろう。しかし、あまりにも発言と認識が時代錯誤すぎた。
小難しい政治の話などわからない地元の高齢男性支持者相手に面白おかしい演説をぶってウケを狙うような普段のノリで、いわばサービスのつもりだったのだろう。しかし、世界中が注目し、ダイバーシティとインクルージョンを標榜するオリンピックに因んだ場での女性蔑視発言には、世界中の女性が怒っている。それはそうだろう。
謝罪の記者会見も惨憺たるもので、却って批判を強めさせた。あそこで神妙に受け答えしていれば、もしかしたらここまでにならなかったかもしれない。しかしそれも出来ないのが、ご自身曰く「老害」たる所以か、身に染み付いたものだからか。
このままだと、昨年末から新型コロナウイルス対応を巡って支持率を急下降させる菅政権の不人気ぶりにも追い打ちをかけかねない情勢で、ついにジ・エンドとなった。森前会長は体調もよろしくないという。ぜひご自身が深く関与された新装の国立競技場の一番良い貴賓席で、東京五輪の開会式をご覧になっていただきたいものだ。もちろん、東京五輪がこのまま開催できるのならばだが。
そしてその火中の栗となった東京五輪のトップの座を拾ったのが、川淵三郎氏だ。

ご存じのとおり、Jリーグ立ち上げの立役者だ。いや、それのみらなず今の日本サッカーの興隆を強いリーダーシップで築き上げてきた人である。日本サッカー協会のトップも長く勤めた。
この手腕はサッカー協会の退任後も他のスポーツ分野にも活かされ、分裂騒動に陥っていたプロバスケットボールリーグの事態収拾にあたり、無事このミッションを成し遂げて、その後は日本バスケットボール協会会長にも就いたこともある。その後は、日本の団体球技リーグの横断組織である、日本トップリーグ連携機構の会長に就任。
ちなみに、この日本トップリーグ機構の会長職も、五輪組織委員会と同じく森喜朗氏の後任であった。
ここまで行けば川淵氏が、東京五輪の会長となるいうのは、それほど意外な人事ではないということはおわかりになるだろう。
フジテレビの「とくダネ!」の小倉智昭キャスターが、噂に上る前から森喜朗氏が退任した場合の後任候補として川淵氏をあげていたこともあるくらいで、スポーツ好きを公言している小倉氏のみらず、関係者の間では早々と名前がささやかれていたという。
なお川淵氏は、オールドサッカーファンなら知る人ぞ知る、前回1964年の東京五輪の時に日本代表のストライカーであった。当時はサッカー弱小国の日本だったが、この時はなんとアルゼンチンに勝ってベスト8まで進出している。そのアルゼンチン戦で1得点1アシストの大活躍をしたのが、若き日の川淵氏だ。

2021年令和3年 川淵三郎 宿沢

2021年令和3年 川淵三郎 宿沢

みずからの女性蔑視と取れる発言で東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長職を辞任する意向を固めた森喜朗氏の後任はJリーグの初代チェアマンを務めた川淵三郎氏で(84)調整が進められていることが関係者への取材でわかりました。
森会長は今月3日、JOC=日本オリンピック委員会の評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言し、その翌日に発言を撤回して謝罪しましたが、その後も国内外から批判の声が上がっていました。
こうした中、森会長は発言の責任を取りたいとして、会長職を辞任する意向を固めて関係者に伝えました。
これを受けて森会長の後任にはJリーグの初代チェアマンを務めた川淵氏を軸に調整が進められていることが関係者への取材でわかりました。
森会長は11日午後、都内で川淵氏と会談しました。
後任の会長について直接話をしたものとみられます。
川淵氏は大阪府出身の84歳。
日本サッカー協会の第10代の会長や日本バスケットボール協会の会長などを歴任し、現在は球技の国内リーグでつくる日本トップリーグ連携機構の会長を務めています。
東京大会は開催まであと5か月余りとなる中、運営を担う組織委員会のトップが辞任の意向を示す異例の事態となりました。
川淵三郎氏は大阪府出身の84歳。
現役時代はフォワードなど攻撃的な選手としてプレーし、日本代表では1964年の東京オリンピックなどに出場し、現役引退後は代表監督も務めました。
その後は日本初のプロサッカーリーグ「Jリーグ」の立ち上げに尽力し、1993年にスタートしたリーグトップの初代チェアマンに就任。
「百年構想」という地域スポーツの振興を掲げて、全国各地へのJリーグクラブの設立を進めるとともに2002年のワールドカップ日韓大会の招致に成功したほか、日本サッカー協会の第10代の会長として競技の普及と強化に力を入れてきました。
また、サッカー界だけにとどまらず、2015年には日本バスケットボール協会の会長に就任し、分裂していた男子リーグの統一のために改革を推し進めBリーグをスタートさせ、国際試合禁止の制裁の解除を実現するなど、バスケットボール界でも強いリーダーシップを発揮しました。
現在は球技の国内リーグでつくる日本トップリーグ連携機構の会長を務めています。
組織委員会では評議員会の議長を務め、ことし夏の東京大会では選手村の村長を務めることになっています。

川淵さんの言う境田さんとは、清宮副会長とリーグのプロ化を進めている境田正樹協会理事のことです。弁護士でもある境田理事は、川淵さんとともにBリーグの立ち上げに貢献した功労者のひとりです。2人をよく知る境田理事は、清宮副会長と川淵さんに、ある共通点を感じたと言います。

「私は今回、清宮さんとW杯日本大会期間中に世界各国の協会やスポンサーの方たちと話をしたんです。それにより、スポーツビジネスを成功させるためには優れたリーダーが必要だと感じました。清宮さんにはリーダーとしてのセンスがあり、川淵さんと同じ“こういうリーダーがいると勝てるんじゃないか”と思わせてくれる人物。今回のW杯日本大会を終え、“清宮さんが中心にいれば大丈夫だ”と確信しました」

みずからの女性蔑視と取れる発言で東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長職を辞任する意向を固めた森喜朗氏の後任はJリーグの初代チェアマンを務めた川淵三郎氏で(84)調整が進められていることが関係者への取材でわかりました。
森会長は11日午後、都内で川淵氏と会談し直接話をしたものとみられます。

私見を述べれば、日本のスポーツ界は川淵さんの出現以前と以降に分けられます。川淵さんの出現前は学校と企業がスポーツの主役でしたが、「地域密着」を理念に掲げて船出したJリーグの成功により、以降は行政、地域住民、企業による三位一体型が主流となりました。

それに対する川淵さんの答えはこうでした。

陰からラグビーのプロ化を支える川淵さん、さらに清宮副会長にこう発破をかけました。

遅々として進まぬ現状に「個人的にはかなり不満です。こんなスピードで本当にプロ化できるのか」と口にする清宮副会長に対し、川淵さんはこうエールを送りました。

2021年令和3年 川淵三郎 野球

2021年令和3年 川淵三郎 野球

オリンピック選手村の裏側を暴露!野球は優遇されすぎ?

外出自粛要請が続く中、大型イベントの開催には批判もあるが、国民に人気のあるプロ野球とJリーグの開催で社会に漂う停滞ムードを打破し、一日も早く日常生活を取り戻したい。

アメリカメディアが衝撃的なレポートを発表した。その内容は東京五輪の追加種目となった野球・ソフトボールにも影響を与えそうだ。リオデジャネイロ五輪のテレビ視聴率(平均)が前回大会のロンドン五輪と比べ、15…

一方、日本野球機構NPBとJリーグも合同で設置した新型コロナウイルス対策連絡会議で連携して開催計画の策定を早い段階から行ってきたが、緊急事態宣言が5月31日まで延長されたこともあり、再び開幕や再開の時期を模索している。

2021年令和3年 川淵三郎 若い

2021年令和3年 川淵三郎 若い

そしてその火中の栗となった東京五輪のトップの座を拾ったのが、川淵三郎氏だ。

川淵氏はこの時に個人会社と日本サッカー協会との関係が不適切ではないかなどを詮索されるなどもしてきており、2008年まで会長職を任期満了までつとめたが、ここでサッカー界ではお役目を果たすことになった。

◆中止になれば「敗戦処理」必至だが……
開催まで残りは半年しかないなかで、しかも中止になった場合は、五輪の敗戦処理まで引き受けることになる。それでも川淵氏はよいのだろうか。

修羅場や一筋縄ではいかないところに出ていくのは川淵氏の宿命なのか、本人が望むところなのか。

それに怒ったサポーターは、なんと「川淵解任デモ」まで行った。
主催者発表で約1,000人のファン・サポーターが「川淵やめろ」とサッカーサポーター特有のコールを連呼して、日本代表戦終了後の国立競技場のある千駄ヶ谷周辺を練り歩いた。デモ隊がもつプラカードには「老害」の文字も見えるが、実は15年前の時点で川淵氏は老害扱いされてしまっていたのだ。

◆川淵解任デモ主催者の一人は今回の会長就任をどう見る?
この川淵氏の批判の急先鋒だった「川淵解任デモ」の主催者のひとりに、今回の東京五輪の組織委員会会長就任について、15年ぶりに川淵氏のことを聞いてみた。

◆セクシストが去ったのにレイシスト?
川淵氏は、日本サッカー協会の会長を2002年に退いたあと、しばらくは首都大学東京の理事長などの異分野に活動の舞台を移し、一時は政治の世界にも足を踏み入れかけていた。2012年に東京都知事に立候補した猪瀬直樹氏の選挙対策本部長をつとめ、猪瀬辞任後の2013年、そして後任の舛添要一前東京都知事の辞任に伴う2016年の都知事戦への出馬も取り沙汰された。

意外な回答であるが、あの当時批判したものすら川淵氏の力量をスポーツ界では認めるひとが多いということだろう。

◆川淵解任デモまで起きたことも
これより以前の2020年の日韓ワールドカップ以前から、ジーコ監督の前任のトルシエ元日本代表監督との確執なども一部のファン・サポーターの怒りを呼んでいた。ジーコ監督は川淵氏の一存で決めたことも公言していたため、ファンからはこの素っ頓狂な「オシムって言っちゃったね」発言で怒りが爆発した形だ。

◆川淵氏にも十分ある舌禍を招く資質
ところで森喜朗氏は今回舌禍騒動で、そのワンマンぶりをも批判されて辞任となったわけだが、今回後任となる川淵氏も、かつては日本サッカー協会の会長として君臨したのが災いして、一時期激しい批判を浴びたことも記憶している人もいるだろう。口が禍の元となるのは、森氏のみならず川淵氏も体験してきたことなのである。

フジテレビの「とくダネ!」の小倉智昭キャスターが、噂に上る前から森喜朗氏が退任した場合の後任候補として川淵氏をあげていたこともあるくらいで、スポーツ好きを公言している小倉氏のみらず、関係者の間では早々と名前がささやかれていたという。

川淵氏は、この時点でJリーグを9年、日本サッカー協会を5年と、日本サッカーのトップの座をあわせて14年も務めていた。そのために「独裁者」との批判が渦巻き、サッカー協会のかつての仲間であるOBからも、晩節を汚すようなことがあってはならないと批判を浴びる始末だ。

「あの川淵解任デモは、ワールドカップ敗退があまりにも残念過ぎて、その純粋な怒りがあったからできたものでした。その時は批判しすぎるくらいに批判してきましたが、もちろん川淵さんのこれまでの実績や手腕を全て否定しているわけではないです。今回の人選も悪いものとは思わないし、僕としてはお手並み拝見というところですね」

「例えばJリーグのチェアマン時代に、観客を呼ぶ言葉に『動員』という言葉を使うなと決めたのは川淵さんです。それは戦争をイメージさせるからよろしくないということでした。戦前世代でも、そういうところはキチンとわきまえているし、単に右派とカテゴライズしてしまうのもどうかなと思います」

なお川淵氏は、オールドサッカーファンなら知る人ぞ知る、前回1964年の東京五輪の時に日本代表のストライカーであった。当時はサッカー弱小国の日本だったが、この時はなんとアルゼンチンに勝ってベスト8まで進出している。そのアルゼンチン戦で1得点1アシストの大活躍をしたのが、若き日の川淵氏だ。

2021年令和3年 川淵三郎 有能

2021年令和3年 川淵三郎 有能

大会の準備状況を監督するIOC調整委員会のコーツ委員長も「強力かつ有能なリーダーで、新型コロナウイルスのパンデミックという最も困難な状況でも解決策を見つけてくれると信頼できた」と称えた。国際パラリンピック委員会(IPC)のパーソンズ会長も「7年にわたる組織委への貢献とリーダーシップに感謝する」とコメントした。

川淵氏は森氏との会談後、日本経済新聞の取材に「選ばれれば一生懸命頑張る。世界中からの評価につながる五輪にしようと日本国民に呼び掛け…

東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(83)は11日、女性蔑視と受け取れる自身の発言を巡り辞任する意向を固めた。国内外での批判の高まりを受けて判断した。森氏は日本サッカー協会元会長の川淵三郎氏(84)と会談して後任を打診し、川淵氏は受諾する考えを示した。