2021最新 内村航平 栄光の架け橋だ

▼SP首位発進の羽生結弦、H難度成功の内村航平から刺激― スポニチ Sponichi Annex スポーツ2021年3月26日 成功すれば史上初となる4回転半ジャンプを見据える羽生は最近、体操や陸上の理論もトレーニングに取り入れているという。過去に表彰式で体操男子の内村航平(ジョイカル)、白井健三(日体大大学院)と話したことがあり、体操の2人が「フィギュアのジャンプの回転の仕方を参考にしている」と話していたことも記憶に残っている。 鉄棒に絞って東京五輪を狙っている内村は、H難度「ブレトシュナイダー」を習得。羽生は「内村さんがH難度を決めていることも刺激になったりもしていた。自分にとって4回転半というのがかなり大きな壁なので、それに対してどうやって回転数を増やしていくのかとか、どうやってジャンプの高さだったり滞空時間を延ばしていくのかってことを考えていた」と話した。

2016年のリオデジャネイロ大会では、男子73kg級で大野将平さん、男子90kg級でベイカー茉秋さん、女子70kg級で田知本遥さんが金メダルを獲得しました。日本発祥の柔道がオリンピックの正式種目として採用されたのは、1964年の東京大会のこと。当初は男子のみでしたが、1992年のバルセロナ大会からは女子柔道も正式種目として実施されています。

堀島選手の原動力はオリンピックでの悔しさ。前回、初出場での平昌大会。1年前の世界選手権を制し、メダル確実といわれていました。大きなミス。まさかの惨敗でした。プレッシャーのかかる場面で力を発揮できなかった堀島選手。その後は、練習では常に本番をイメージし、ミスを許さないと強く意識。世界の舞台でも結果を残せるようになってきました。今度こそ自信をもってスタートラインに立つために。堀島選手は今、思い描くイメージがあります。圧巻の演技で連覇を果たした2人の姿です。競技は異なりますが、モーグルも同じ採点競技。表彰台に届かなかったオリンピック。プレッシャーのなか、どのようにすれば力を発揮できるのか学ぼうとしています。そして、“東京五輪 出場を目指す選手の思い”カヌー・羽根田卓也選手がインタビューの中で、内村選手が批判を覚悟でメッセージを発信した姿に「勇気をもらった」と話されたそうです!「現実を受け止めて、何ができるか考えなければいけないのが世界の状況。そこを見ないで知らんふりをするのは、僕は間違っていると思う」と羽根田選手▼”揺れる五輪、アスリートの思い” カヌー・羽根田卓也選手/内村航平選手が発信したこのメッセージに「勇気をもらった」

1912年のストックホルム大会から2016年のリオデジャネイロ大会まで、日本は夏季オリンピックに22回参加しています。さまざまな競技で選手たちが活躍していますが、なかでもメダル獲得数が多い競技とは、いったい何なのでしょうか。

2016年のリオデジャネイロ大会では、男子400m個人メドレーで萩野公介さん、女子200m平泳ぎで金藤理絵さんが金メダルを獲得しました。また、2004年のアテネ大会と2008年の北京大会では、北島康介さんが男子100mと200m平泳ぎで金メダルを獲得。2004年のレース後のインタビューで北島さんが発した「チョー気持ちいい」という言葉は、同年の新語・流行語大賞の年間大賞にも選ばれています。

内村は「歴史は大切ですよ」と話す。自身が生まれる前の小野や加藤の活躍を知って、再び「体操ニッポン」となることを目指してきた。自分のパフォーマンス以上に、体操界全体を俯瞰(ふかん)して見ていた。後進の成長を喜びながら、体操界を盛り上げることだけを考えてきた。

体操男子日本代表は、「(金5、銀4を獲得した)1964年の東京を超えるような大会にしよう」という意味を込めて「Beyond 1964」というスローガンを立てた。内村自身も団体優勝を目指していたリオでは「(団体で金メダルを獲得した)アテネの冨田洋之さんの着地を超えたい」とずっと言っていたが、それが無理であることを実感した。

内村にとって、この5年間は「初めての挫折だった」。リオまでは自分の思い描く通りに全てが順調に進んでいた。ただ、うまくいかなくなったときこそ、人間としての強さも問われる。内村は栄光を極めた過去の自分と決別し、新しい自分と向き合うことで、その挫折を乗り越えた。4大会出場することは「諦めが悪く、心の底から体操が好きな人しか到達できない領域」と語っていたが、内村というアスリートの本質も「諦めない」「心の底から体操が好き」という言葉に集約されている。

5人の力を結集した団体、最後の鉄棒で着地をぴたりと止め、ベルニャエフを逆転した個人総合は、それぞれリオの名場面だ。内村は東京で新たな歴史を刻むべく、静かに燃えている。

「自分がダメでも、主将としてチームを引っ張ることは大切だからね」。そう言ったのは1964年東京五輪で男子体操チーム、さらに日本選手団の主将を務めた小野喬だ。「鬼に金棒、小野に鉄棒」と言われた通り鉄棒で好成績をあげ続け、64年大会は33歳で五輪4大会目の出場。今大会の内村と共通点が多い。

五輪で演技をすることがなくなっても、内村は後輩たちの頑張りをじっと見つめていた。チームメートに気を遣わせないように笑顔で声をかけ「すっきりした気持ち」と言った。激しい代表争いを勝ち抜き「できる方法を考えてほしい」と五輪開催を訴えたが、まさかの落下。それでも、主将として日本チームを引っ張る姿勢は変わらない。

2016年のリオデジャネイロ大会では、男子個人総合の内村航平さんと、男子団体(内村航平さん、加藤凌平さん、山室光史さん、田中佑典さん、白井健三さん)で金メダルを獲得しました。2004年のアテネ大会で行われた体操男子団体では、当時NHKのアナウンサーだった刈屋富士雄さんが実況で放った「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」という言葉が大きな話題に。冨田洋之さんの鉄棒の演技は、NHKアテネオリンピックのテーマソングとなっていたゆずの「栄光の架橋」とともに、記憶に刻まれる名場面となりました。

日本の選手は、みな「目標は団体金メダル」と口をそろえる。伝統的に団体を重視し、チームの中で新旧交代をしてきた。80年モスクワ大会のボイコットで途切れた後は低迷したが、2004年のアテネ大会で復活の団体金メダル。冨田洋之からバトンを受けたのが「キング」内村だった。

「何かを超えるってやはり難しいんです。1964年の東京はそのときの東京ですし、2021年の東京は今回にしか出せないものがある。だから僕は今のこのチームで新しい歴史を築くような演技や、名場面を自分たちで作っていければいいんじゃないかと思います」