2021最新 岩崎恭子 沼津

軽部さんは「沼津に住んでいたのは幼少期のたった2年間だが、とても強く印象に残っている。泳ぐ魚が間近にいる美しい若松海水浴場や、カーブを抜けると目の前に現れる豪華客船スカンジナビア号、家から毎日見えた香貫山の五重塔。ちょうど西武百貨店の新館がオープンして、きらびやかな同百貨店などのデパートに行ったことなど、日常的な原体験が沼津にある。夢のような2年間の日常生活だった。幼稚園の頃は引っ込み思案で『泣き虫しんちゃん』と呼ばれていたが、沼津の生活で伸び伸びと明るくなったと母が言っていた。沼津の生活がなかったらアナウンサーになっていなかったと思う」と振り返った。

岩崎さんは走行後のイベントで「29年前は金メダル獲得後に市内をパレードした」と思い出を披露。聖火ランナーとして凱旋できたことを「大変うれしく思う」とし、「7月23日に国立競技場で聖火が無事ともることを願っています」と締めくくった。

◇岩崎 恭子(いわさき・きょうこ)1978年(昭53)7月21日生まれ、静岡県沼津市出身の43歳。日大三島—日大。92年バルセロナ五輪で200メートル平泳ぎに出場し、競泳史上最年少金メダリストに。96年アトランタ五輪にも出場し、98年に現役引退。02年にはJOC海外指導者研修で留学を経験。JOCでは事業広報専門委員などを歴任した。現在は日本水泳連盟で競泳委員を務めている。

2021年度と2022年度の「燦々(さんさん)ぬまづ大使」に就任したフジテレビアナウンサーの軽部真一さんの認証式が6月25日、沼津市役所(沼津市御幸町)であった。

軽部さんは「CNNのラリー・キングはサスペンダーがトレードマークで、日本のラリー・キングになろうと『めざましテレビ』が始まる時に、サスペンダーとちょうネクタイを毎日身に着けるようにした。今ではちょうネクタイと言ったら軽部と認識してもらえるようになった。軽部と言えばちょうネクタイの存在が大きいと思う。沼津といえばこれ、という何かがあると強い」と沼津の強みを作ることを自身の体験から話し、「第二の故郷である沼津をいろんな人に改めて知ってもらえるよう、私なりにPRしていきたい」と意気込んだ。

東京五輪の聖火リレーは24日午後も静岡県で続き、1992年バルセロナ五輪競泳の金メダリスト岩崎恭子さん(42)が、故郷の沼津市を走った。
岩崎さんは走行後のイベントで「29年前は金メダル獲得後に市内をパレードした」と思い出を披露。聖火ランナーとして凱旋できたことを「大変うれしく思う」とし、「7月23日に国立競技場で聖火が無事ともることを願っています」と締めくくった。
5人制サッカー(視覚障害)でパラリンピック出場が見込まれる田中章仁さん(43)は「こんな競技があるということを多くの人に知ってもらいたくて」リレーに参加。笑顔で焼津市を走った。

市民講座「沼津の学校」が8月5日、開催される。

東京五輪の聖火リレーは24日午後も静岡県で続き、1992年バルセロナ五輪競泳の金メダリスト岩崎恭子さん(42)が、故郷の沼津市を走った。

頼重市長は「情景が思い浮かぶくらい、沼津の思い出を語ってくれて、沼津愛が強い人。シティープロモーションへの協力をお願いしたい」と話した。

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私は92年のバルセロナ五輪で金メダルを獲りましたが、大会前には全く注目されていなくて、プレッシャーや邪念は全くありませんでした。でも次のアトランタ五輪は大会前から注目されて、結局100、200メートルとも決勝に残ることができませんでした。その時に一番感じたのは「注目される中でメダルを獲れる選手はどれだけ強いんだろう」ということでした。心技体の全てが備わっていないと重圧を乗り越えて栄冠を手にすることはできないんです。日本が発祥ということで常に周りから金メダルを求められる柔道はそれだけで大変だと思いますし、その中で9個も金メダルを獲ったのですから本当に凄いことだと思います。

軽部さんは、銀行員の父親の転勤で小学校3年生から5年生の1学期まで沼津で暮らした。テレビ番組で沼津のエピソードを軽部さんが話しているのを目にした頼重秀一沼津市長が、同大使への就任を打診したという。

同大使は沼津市を内外にPRする目的で設立された制度で、1991(平成3)年から続くもの。大使は、それぞれ沼津にゆかりのある人物が選任されており、俳優の故・三國連太郎さんや、タレントの山田邦子さん、水泳選手の岩崎恭子さんなどが選ばれてきた。