着地

2021最新 内村航平 着地

2021最新 内村航平 着地

美しい演技を支えてきた圧倒的な練習量に限界が見え、30歳で迎えた2019年の全日本選手権では予選敗退を味わった。本来の演技とはほど遠い内容で、鉄棒の着地ではひざをついた。

12年ロンドンと16年リオデジャネイロで、個人総合を2連覇。長年、日本のエースを務めてきた内村の活躍を写真で振り返る。

体操男子日本代表は、「(金5、銀4を獲得した)1964年の東京を超えるような大会にしよう」という意味を込めて「Beyond 1964」というスローガンを立てた。内村自身も団体優勝を目指していたリオでは「(団体で金メダルを獲得した)アテネの冨田洋之さんの着地を超えたい」とずっと言っていたが、それが無理であることを実感した。

最初の五輪は2008年の北京大会。19歳で個人総合の銀メダルをつかんだ。10代での個人総合のメダルは長い体操ニッポンの歴史でも初の快挙だった。

東京オリンピック(五輪)の体操男子予選で24日、鉄棒に出場した内村航平(32)が落下し、決勝に進めなかった。個人枠で出場した内村の4度目の五輪は、あっという間に終わった。

内村にとって、この5年間は「初めての挫折だった」。リオまでは自分の思い描く通りに全てが順調に進んでいた。ただ、うまくいかなくなったときこそ、人間としての強さも問われる。内村は栄光を極めた過去の自分と決別し、新しい自分と向き合うことで、その挫折を乗り越えた。4大会出場することは「諦めが悪く、心の底から体操が好きな人しか到達できない領域」と語っていたが、内村というアスリートの本質も「諦めない」「心の底から体操が好き」という言葉に集約されている。

離れ業を2度成功させたが、捻りで落下してしまった。演技を再開させ、着地は決めたが渋い表情で演技を終えた。

苦渋の選択がもたらしたもの 精神的にも追い詰められていた内村は、当初の予定ならば五輪1年前だった19年夏に、「東京五輪は夢物語」と口にすることもあった。しかしこの苦境を打開するきっかけとなる決断があった。 2020年2月。内村は、6種目で競う個人総合から鉄棒に絞って東京五輪を目指すと決めたのだ。 オールラウンダーへの強いこだわりを持ってきた内村にとっては苦渋の選択だったが、これが功を奏した。「不思議なことに、鉄棒だけは練習しても肩が痛くならない」と笑顔も取り戻していた。 もちろん、種目を絞れば五輪に出やすくなるというものではない。実際、一つしかない「個人枠」を巡る戦いは熾烈だった。しかし、最後は運も味方した。今年6月にあった全日本種目別選手権兼東京五輪最終選考会。内村は、跳馬のスペシャリストである米倉英信(徳洲会)をタイブレークポイントでかわして代表入りを果たした。点数にして0.001点という超僅差での代表入りだった。 「僕の鉄棒の演技時間は1分弱。その1分にすべてを凝縮して、演技として出せればいい」と、静かな口調の奥に闘志を秘めている。 内村の五輪での成績は華やかだ。19歳で初出場した2008年北京五輪で、団体総合と個人総合の2個の銀メダルを手にしたのを皮切りに、12年ロンドン五輪では個人総合金メダル、16年リオデジャネイロ五輪では団体総合と個人総合で二つの金メダルを獲得した。五輪通算のメダル獲得数7個(金3、銀4)は、現役の日本人選手の中で最多を誇る。 今回は五輪の出場回数で史上最多タイを記録することにもなる。体操の日本人選手で4大会連続の五輪出場は、1964年東京大会で日本選手団主将を務め、「鬼に金棒、小野に鉄棒」と言われた小野喬さん以来、57年ぶり2人目だ。 内村自身もそこは強く意識しており、「かなり近いというか、年齢や立場はほとんど一緒ですよね」とうなずく。「東京五輪」出場時の年齢は小野さんが33歳で、内村は32歳。その時代のスポーツ界の顔であること、鉄棒を得意とするのも共通項と言える。 そして、最大の共通項は何より体操を愛する気持ちだと胸を張る。 「五輪4大会に出るというのは、やはり大変という以外、言葉が出てきません。自分でもよくやったなと思う。しつこいというか、心から体操が好きな人でないと到達できない領域なのではないかと思います」 内村は、2016年リオ五輪前の国内合宿時に、1964年東京五輪のメンバーが合宿地である東京に集結して自分たちを激励してくれたエピソードを明かし、「小野さんと話をさせていただく機会がありました」と感慨深げだった。

今大会は内村は、個人総合ではなく、鉄棒1本に絞り出場している。種目別の決勝に進むためには、少なくとも日本チームの中で3番手以内に入らなければならず、この時点で内村の東京五輪は終わった。

「何かを超えるってやはり難しいんです。1964年の東京はそのときの東京ですし、2021年の東京は今回にしか出せないものがある。だから僕は今のこのチームで新しい歴史を築くような演技や、名場面を自分たちで作っていければいいんじゃないかと思います」

「何て言っていいか分からない」—。ある人への思いを問われると、淡々と答えていた内村の言葉が止まった。16年リオ五輪後にプロとなって以降、二人三脚で歩んできた佐藤寛朗コーチだ。10歳頃からお互いを知り、高校時代は先輩後輩として、同じ時を過ごした親友のような存在。「自分のことを自分より知ってくれている」と内村も全幅の信頼を置いている。

男子予選が行われ、種目別鉄棒に絞って出場した内村航平(32)=ジョイカル=は、ひねり技で落下し、上位8人による決勝進出(8月3日)を逃した。自身4度目となる五輪挑戦はまさかの結末で幕を閉じ、3大会連続の金メダル獲得はならなかった。3歳から始まった体操人生。自身の今後については、「いつ引退とか考えてない。引退宣言する必要あるのかな」と明言を避けた。

4月から続いた体操の東京オリンピック代表選考会。6日に行われた全日本種目別選手権 決勝、その最後の種目となった鉄棒で、内村は最後の演技者だった。前日の予選でほぼ完璧な演技を見せた内村。同じようにこの日も演技をこなせば、代表内定は確実といえる状況になっていた。

5人の力を結集した団体、最後の鉄棒で着地をぴたりと止め、ベルニャエフを逆転した個人総合は、それぞれリオの名場面だ。内村は東京で新たな歴史を刻むべく、静かに燃えている。

体操の東京五輪代表選考会を兼ねた全日本種目別選手権が6月5、6日に行なわれ、種目別鉄棒に絞って挑んだ内村航平(ジョイカル)が、個人出場枠での代表の座を勝ち取った。内村は2008年北京五輪から4大会連続出場。1952年ヘルシンキ五輪から’64年東京五輪まで4大会に連続出場した小野喬に並ぶ日本体操界の五輪最多出場だ。

2021最新 内村航平 着地 動画

2021最新 内村航平 着地 動画

全体としてかなりいい演技でしたが、ロンドンオリンピックの時と比べ内村選手を見てジュニア期を過ごした選手が徐々に台頭してきました。
確実に個人総合の超人化が進んでいることが見えつつあると言ってもよい大会だったと思います。

5人の力を結集した団体、最後の鉄棒で着地をぴたりと止め、ベルニャエフを逆転した個人総合は、それぞれリオの名場面だ。内村は東京で新たな歴史を刻むべく、静かに燃えている。

このままでは東京2020大会への出場は夢物語。残された選択肢は、種目を絞るしかなかった。だが、なかなか踏ん切りがつかない。ずっとオールラウンダーとしてやってきて、「6種目やってこそ体操」というこだわりがあったからだ。それを捨て去るのは、これまでの自分と決別することを意味する。ただ、佐藤寛朗コーチから「もがいて苦しんでオリンピックに出られないより、確実に気持ち良く行けた方がいいんじゃないか」と言われ、視界が開けた。

しかし、この時は4位にはベルニャエフ選手が来ていました。
鞍馬で大過失はありつつも、4位に入賞する姿はどこか北京オリンピックの内村選手を彷彿させるものでした。

「2017年から2019年の年末までは、ずっときつかったですね。この年齢で新しいケガをすると、元の体に戻すには時間が相当かかる。どれだけ頑張っても戻らなくて、練習をしないといけないのに、その練習が逆にダメージになっていました」

肩の負傷などによる練習不足の影響もあり、2019年はまさかの日本代表に入ることが出来ませんでした。

「何かを超えるってやはり難しいんです。1964年の東京はそのときの東京ですし、2021年の東京は今回にしか出せないものがある。だから僕は今のこのチームで新しい歴史を築くような演技や、名場面を自分たちで作っていければいいんじゃないかと思います」

跳馬に関してはこの年からヨー2(前転飛び伸身前方宙返り2回半ひねり)を投入し、難度を上げつつ内村選手らしい美しい実施を見せています。

2014年は中国に惜しくも団体で破れ現メダルとなった後での個人総合となりました。
鬼気迫るものがある演技でしたが、特に床は全ての着地を完璧に止めるという会心の演技となりました。

ここから内村選手の快進撃が始まります。

みずからと向き合いながら“完璧な演技”を追い求め続ける内村航平。4回目のオリンピックとなる東京大会でも、その姿勢は変わらない。

「いろいろと重なる部分があるんですよね。東京を迎える年齢も一緒(小野さんは当時33歳、内村は早生まれの32歳)ですし、鉄棒が得意。そのときは肩も痛めていたみたいで僕と同じだなと。縁があるんだと思います。ただ、4回目の出場が史上2人目で、過去にいたのはちょっと悔しい気持ちもあるんですよね。かと言って(2024年の)パリを目指すというわけではないですけど」

難度と完成度を上げ続けている内村選手にただただ驚くばかりです。

2013年の結果は91.990での金メダル。2位は日本の加藤凌平選手の90.032。
難度をやや落として控えめな演技構成にしても、2位に大差をつけての優勝を果たす姿は圧巻でした。

4回目の出場権は、薄氷を踏む思いで勝ち取ったものだ。約9年間続いた個人総合での連勝記録が「40」で止まったのは2017年の世界選手権。跳馬の着地で左足首を負傷し、棄権した。長く酷使してきた肉体は悲鳴を上げており、右足首を痛めた2018年は世界選手権で個人総合の出場を断念。両肩をケガしていた2019年は全日本選手権でまさかの予選落ちを喫し、2008年以降初めて日本代表から落選した。