金メダル

2021最新 内村航平 金メダル

2021最新 内村航平 金メダル

<内村航平選手 コメント>アスリートは、毎日練習し、翌日に疲労を残さずに次の日も同じように練習に取り組むことが求められます。私は3歳から体操競技を続けてきましたが、歳を重ねるにつれ、コンディション管理と向き合う中で特に「睡眠」に気を遣うようになりました。寝具は毎日使う物です。その毎日使う寝具で良い睡眠を取り、自分の身体のコンディションを維持することで日々安心して競技が続けられています。今回のご縁を大切にしながら引き続き頑張って参ります。

株式会社エアウィーヴ(東京都千代田区、代表取締役会長兼社長:高岡本州)は、プロ体操選手の内村航平選手と2021年6月1日、スポンサー契約を締結。東京2020オリンピック競技大会に向けて寝具を通して強力にサポートしていきます。

東京オリンピックは24日、3大会連続の金メダルを目指した男子体操の内村航平(32)が、種目別鉄棒で予選落ちした。ウエイトリフティング女子49キロ級の三宅宏美も、3大会連続のメダルには届かなかった。

東京オリンピック、体操は男子予選が行われ、種目別の鉄棒で金メダルの期待がかかった内村航平選手は、鉄棒で落下して、決勝進出はなりませんでした。

史上最高の体操選手とされる内村は演技中、鉄棒から手が離れて落下した。

「歴史に名を刻めるような演技、名場面を残せればいい」。過去3大会で金3個を含む7個のメダルを獲得し、「キング」と呼ばれる体操男子の内村航平(32)(ジョイカル)が24日、自身最後と決めている東京五輪への思いをオンライン記者会見で語った。

リオ五輪で男子団体を金メダルに導いた内村に、東京オリンピックで有終の美を迎えてほしいと望んでいた人は日本に多い。

1964年東京五輪の選手団主将を務め、体操男子で団体総合金メダルを獲得した小野喬さん(89)は点火セレモニーに参加。「昔のことを思い出しながら走りました」と感慨深げだった。かつては“鬼に金棒、小野に鉄棒”と恐れられ、4大会で計13個の五輪メダルを獲得したレジェンド。鉄棒で2度の金メダルを獲得したこともあり、同種目で東京五輪に出場する内村航平(32)=ジョイカル=に「4回も五輪に出場していて、特に鉄棒を中心に頑張っています。ぜひとも金メダルを取って、日本の皆さまに喜んでいただくことを心から願っています」とエールを送った。

これまで4大会連続メダルの偉業を達成した日本選手は、5大会連続の柔道、谷亮子(旧姓田村)を含め、体操の小野喬、レスリングの伊調馨、吉田沙保里の4人。だが、最後の大会で個人の金メダルを獲得したのは伊調だけで、谷は銅、吉田も銀に泣いた。1964年東京大会で団体総合の金を手にした小野も「鬼に金棒、小野に鉄棒」とまで言われた得意種目は6位だった。絶対的な王者といえども、最後まで頂点に君臨し続けるのは至難の業だ。

暗闇に光をともしてくれたのは、18年夏に胃がんのため51歳で亡くなった高校時代の恩師、小林隆さんだった。19年の終わり頃、夢枕に立ち、「個人の金メダルは、団体よりも価値があるんだ」と告げられ、ハッとした。苦悩する教え子を見かねて、天国から道を示してくれたのだと思った。

体操男子の日本代表、内村航平選手。今回が4回目のオリンピックで、東京では3大会連続の金メダル獲得がかかります。「最大の目標はメダルの色ではない」という王者が目指すものとは…。

だが、内村の準備は万全からはほど遠かった。五輪代表の権利は、先月の全日本体操種目別選手権で、タイブレークでようやく獲得した。2019年の両肩のけがで、個人総合への出場の可能性は失われた。

金メダルはトータル210キロを挙げた中国の侯志慧が獲得。インドのチャヌ・サイコム・ミラバイは202キロで銀、インドネシアのウィンジ・アイサフは194キロで銅を獲得した。

<プロフィール>1989年1月3日生まれ(長崎県諫早市出身)。オリンピック3大会(2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ)に出場し、個人総合2連覇を含む7つのメダル(金メダル3、銀メダル4)を獲得。2020年夏、6種目で戦うオールラウンダーから種目別鉄棒に絞ってオリンピックを目指すことを表明。<スポンサー契約について>東京2020オリンピック競技大会体操競技男子種目別鉄棒日本代表に内定した内村航平選手。経験を積むにつれ、結果を出すためには質の良い睡眠でコンディションを整えることが重要だと実感するにようになったそうです。「どこにいても睡眠環境を大事にしたい」と人一倍寝具にこだわる内村選手、その思いに共感し、この度の契約締結に至りました。 内村選手が愛用しているのは、体形に合わせて肩・腰・脚の各パーツの硬さをカスタマイズできる三分割マットレス「エアウィーヴ マットレス2020」。このカスタマイズの技術は、東京2020大会の選手村に提供するマットレスにも応用されています。内村選手は、選手村と少しでも近い環境でコンディションを整え、日々練習に励んでいます。 エアウィーヴは、世界の頂点を目指す内村選手を、寝具を通して応援します。

7年前のロンドンについて「今思えば、通過点だった」と振り返る。3度の五輪で最も印象に残っているのは、団体と個人総合の2冠を達成したリオ大会。「自分が一番ほしい団体の金メダルが取れた。(0・099点差で)連覇した個人も、歴史に残るような戦いが見せられたのは、すごく大きかった」

2021最新 内村航平 金メダル 動画

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内村 和久 さん 「重たい。旗自体は軽いが、気持ちがすごく重くて、これだけ期待されているんだと幸せ者だと感じる」

こんな形で終わるとは、内村自身も想像していなかった。19歳で初出場した08年北京五輪から16年リオ五輪まで、金3個、銀4個を獲得。「うまくいかなかったことがなかった」。何もかも知り尽くしていた五輪。4度目はまさかの予選敗退だった。「僕の見せられる夢はここまでなんじゃないかと思う」。築きあげてきた「内村時代」の終幕を自ら告げた。取材が終わると「最後、良い感じでしたね(笑い)」。コメントに自画自賛する姿も、最後まで内村らしかった。

内村 周子 さん 「どうなろうが受け入れるしかない、覚悟がある。そのときに選手たちをどう励まし、あきらめさせるか、今後の夢を叶えさせるか、そちらに専念する覚悟でいる」

内村 周子 さん 「これだけの応援してもらう中で、期待の重みはあるが、(内村選手には)楽しんで、楽しませてねということだけ伝えようと思う」

張本勲氏、落下した内村航平のコメントに感動…「米倉に気を使っての談話。いい指導者になるな」

内村が組み込む得点源の離れ技3つは、全て同じ技を“起源”とする。ベースになっているのは、バーを越えながら後方抱え込み2回宙返り懸垂の「コバチ」だ。冒頭の「ブレトシュナイダー」はコバチに2回ひねりを加えたもの。「カッシーナ」はコバチを伸身で実施し、1回ひねる。「コールマン」はコバチ1回ひねりとなる。バーから手を離し、次にキャッチするまでのわずかな時間、見る者はスリルを味わう。成否を分かつ技術は何か。内村が重視しているのは、鉄棒の基本動作「車輪」だった。(1)ブレトシュナイダー 演技を始めてから12秒後、大技に挑む。「車輪で描く弧が、大きくなるような感じでやっている」。バーのしなりもコントロールし雄大な回転からH難度の大技につなげる。昨年9月の全日本シニア選手権で実戦初投入して以降、一度も落下せずに国内選考を駆け抜けた。(2)カッシーナ 3つの技で唯一、姿勢は伸身。「車輪の勢いが違うことは、目に見えて分かるんじゃないですかね」。技をかける前の車輪で、下半身を大きく振って、反動をつける。フルパワーで体を空中に投げ出すことで、美しいG難度は成立する。(3)コールマン ひねりが1回多いブレトシュナイダーの車輪と感覚は近いが、わずかに意識に差があるという。「この2つの車輪は見分けがつかないかもしれない」と前置きした上で、「ブレトシュナイダーよりもリラックスしてやる感じ」と説明。気持ち良く回った先に、E難度は余裕たっぷりに成功する。 3種の車輪を巧みに使い分けるため、周到な準備を行う。本番会場に入る前のウオーミングアップでは、上半身と下半身をつなぐ腸腰筋を入念にストレッチ。16年12月のプロ転向後からタッグを組む、佐藤寛朗コーチは「鉄棒にぶら下がって脱力した時に、大きく見えるかどうか」とし、「しっかり肩から抜けて、長く体が伸びている状態で(車輪を)大きく回すのがポイント」と説明した。 国内選考会の5演技は、現行ルールとなった17年以降の世界選手権金メダルの得点を上回り、6月の全日本種目別選手権の予選では世界最高となる15・766点をマーク。代表決定後の試技会で非公式ながら15・800点を叩き出した内村だが、五輪の鉄棒には苦い記憶もある。 12年ロンドン、16年リオデジャネイロ五輪は予選の鉄棒で落下。団体総合と個人総合の予選通過には問題がなかったが、種目別鉄棒の決勝には進めなかった。 1種目のみの出場となる東京五輪では落下は即、致命傷となる。まずは開幕翌日24日の予選を通過し、8月3日の決勝へ。五輪3大会連続の金メダルと、いまだ手にしていない五輪種目別のタイトルがターゲットだ。「目の前の試合を一つ一つ全力でやるという気持ちに変わりはない。満足いく演技を追求していきたい」。鉄棒の基本動作「車輪」から、黄金の軌跡は描かれる。(杉本 亮輔)◇内村 航平(うちむら・こうへい) 1989年(昭64)1月3日生まれ、長崎県出身の32歳。3歳で体操を始め、五輪初出場の08年北京大会で団体総合、個人総合で銀メダル。09~16年に個人総合で2度の五輪制覇を含む世界大会8連覇を達成し、16年12月に日本体操界初のプロに転向した。1メートル62、52キロ。《Vなら84年ロス大会の森末以来》 体操はこれまでの五輪で全競技中、日本最多の98個のメダルを獲得してきた。31個を数える金メダルのうち、最多は団体総合の7で、個人総合と種目別鉄棒が6で続く。64年東京五輪で日本選手団の主将を務め、「鬼に金棒、小野に鉄棒」と称された小野喬さん(89)は鉄棒で56年メルボルン、60年ローマと五輪連覇を達成した。 9日に町田市内で行われた聖火リレーの点火セレモニーで、小野さんは内村に「ぜひとも金メダルを獲って、日本の皆さまに喜んでいただくことを心から願っています」とエール。内村は体操ニッポンでは、小野さん以来の4大会連続の五輪出場となる。16年リオデジャネイロ五輪前に激励された経験があるキングは、「4大会連続が史上2人目で、過去にいたのはちょっと悔しい」と笑った。 日本勢の鉄棒の金メダルは84年ロサンゼルスの森末慎二から遠ざかっており、表彰台も04年アテネ銅メダルの米田功が最後となっている。《最大のライバルはロンドン金の“鉄棒の神”ゾンダーランド》 東京五輪で内村の最大のライバルは、エプケ・ゾンダーランドだ。内村が“鉄棒の神”と言うオランダの35歳は12年ロンドン五輪金メダル、世界選手権も3度制覇している。種目別W杯では同種目で1位となり、五輪切符を獲得した。離れ技を連続で実施するなどアクロバチックな演技が持ち味だが、出来栄えを示すEスコアでは内村が上回る。

2012年のロンドン五輪と2016年のリオデジャネイロ五輪の個人総合で連覇を果たした32歳の内村は、今回の東京五輪で当初鉄棒だけに出場する予定だったが、23日に発表された平行棒の出場リストにも名前が記されていた。

内村は6月に平行棒で五輪出場権を獲得していたが、肩のけがを理由に個人総合には出場しないと決めていた。

アスリートや応援する人にとっては不安な状況ですが、両親は言葉を詰まらせながら、念願の舞台に立つ内村 選手を少しでも近くで見守ることができたらと語りました。

東京オリンピック、体操は男子予選が行われ、種目別の鉄棒で金メダルの期待がかかった内村航平選手は、鉄棒で落下して、決勝進出はなりませんでした。

過去の「日本人第1号金メダリスト」を振り返る。57年前の東京オリンピックで最初に「金」を胸に輝かせたのは?

東京オリンピックを前に、大久保 市長が2人を通じて内村 選手を激励しました。

8日、諫早市役所を訪れたのは、体操の内村 航平 選手の父・和久さんと母・周子さんです。

苦渋の選択がもたらしたもの 精神的にも追い詰められていた内村は、当初の予定ならば五輪1年前だった19年夏に、「東京五輪は夢物語」と口にすることもあった。しかしこの苦境を打開するきっかけとなる決断があった。 2020年2月。内村は、6種目で競う個人総合から鉄棒に絞って東京五輪を目指すと決めたのだ。 オールラウンダーへの強いこだわりを持ってきた内村にとっては苦渋の選択だったが、これが功を奏した。「不思議なことに、鉄棒だけは練習しても肩が痛くならない」と笑顔も取り戻していた。 もちろん、種目を絞れば五輪に出やすくなるというものではない。実際、一つしかない「個人枠」を巡る戦いは熾烈だった。しかし、最後は運も味方した。今年6月にあった全日本種目別選手権兼東京五輪最終選考会。内村は、跳馬のスペシャリストである米倉英信(徳洲会)をタイブレークポイントでかわして代表入りを果たした。点数にして0.001点という超僅差での代表入りだった。 「僕の鉄棒の演技時間は1分弱。その1分にすべてを凝縮して、演技として出せればいい」と、静かな口調の奥に闘志を秘めている。 内村の五輪での成績は華やかだ。19歳で初出場した2008年北京五輪で、団体総合と個人総合の2個の銀メダルを手にしたのを皮切りに、12年ロンドン五輪では個人総合金メダル、16年リオデジャネイロ五輪では団体総合と個人総合で二つの金メダルを獲得した。五輪通算のメダル獲得数7個(金3、銀4)は、現役の日本人選手の中で最多を誇る。 今回は五輪の出場回数で史上最多タイを記録することにもなる。体操の日本人選手で4大会連続の五輪出場は、1964年東京大会で日本選手団主将を務め、「鬼に金棒、小野に鉄棒」と言われた小野喬さん以来、57年ぶり2人目だ。 内村自身もそこは強く意識しており、「かなり近いというか、年齢や立場はほとんど一緒ですよね」とうなずく。「東京五輪」出場時の年齢は小野さんが33歳で、内村は32歳。その時代のスポーツ界の顔であること、鉄棒を得意とするのも共通項と言える。 そして、最大の共通項は何より体操を愛する気持ちだと胸を張る。 「五輪4大会に出るというのは、やはり大変という以外、言葉が出てきません。自分でもよくやったなと思う。しつこいというか、心から体操が好きな人でないと到達できない領域なのではないかと思います」 内村は、2016年リオ五輪前の国内合宿時に、1964年東京五輪のメンバーが合宿地である東京に集結して自分たちを激励してくれたエピソードを明かし、「小野さんと話をさせていただく機会がありました」と感慨深げだった。

オリンピック3大会(2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ)に出場し、個人総合2連覇を含む7つのメダル(金メダル3、銀メダル4)を獲得。また、世界体操競技選手権でも個人総合での世界最多の6連覇を含む21個のメダル(金メダル10、銀メダル6、銅メダル5)を獲得している。国内大会ではNHK杯個人総合10連覇、全日本選手権個人総合でも10連覇を達成。