6連覇

2021最新 内村航平 6連覇

2021最新 内村航平 6連覇

来年のリオデジャネイロ五輪代表も決めた内村は、1968年メキシコ、72年ミュンヘン大会での加藤沢男以来となる五輪個人2連覇をめざす。

鉄棒落下の内村「選考争った米倉に土下座して謝りたい」

内村:もちろん、レベルが上がれば辛いことも増えていきます。今や楽しいことは1割しかなく、その1割のために9割我慢しているようなところもあります。ただ、おっしゃる通り子どものころに体育館で遊んでいた記憶だけはずっと残っていて、それがあるから続けられているのだと思います。

思い出すのは、いつもあの街。総勢20名が語るそれぞれの東京。みうらじゅん、東村アキコ、鈴木敏夫、加藤一二三、赤江珠緒への上京インタビューも収録!

成績は、種目別、個人総合、団体総合で競います。
1種目だけでも大変なのに、全種目で高難度の技を求められるのが、体操競技の難しいところ。当然のことながら、どの選手にも得意な種目と苦手な種目があり、全方位でトップレベルに到達するのは、とても稀有なことなのだそうです。内村航平選手が成し遂げた国際大会で個人総合6連覇の成績は、まさに前人未到の偉業。「体操史上最強」「スーパーレジェンド」などと称されるのも納得です。

内村航平 まさかの予選落ちに「米倉に土下座して謝りたい」 後輩たちの演技には「心配いらない」

予選トップ通過の内村は決勝で92.332点をマーク。最終種目の鉄棒の競技を終えると優勝を確信。採点が出る前に両手でガッツポーズを作った。

オリンピック3大会(2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ)に出場し、個人総合2連覇を含む7つのメダル(金メダル3、銀メダル4)を獲得。また、世界体操競技選手権でも個人総合での世界最多の6連覇を含む21個のメダル(金メダル10、銀メダル6、銅メダル5)を獲得している。国内大会ではNHK杯個人総合10連覇、全日本選手権個人総合でも10連覇を達成。

[グラスゴー30日ロイター] – 体操の世界選手権は30日、英国のグラスゴーで男子個人総合の決勝を行い、内村航平が前人未到の6連覇を達成した。

内村:もちろんありましたよ。体操クラブの仲間と、たまに吉祥寺や下北沢に行きました。ボウリングやカラオケをするのも初めてだったし、高校1年生で焼肉チェーン店に行ったときは「こんな天国みたいな店があるのか!」と感動したのを覚えています。食べたいものも欲しいものも、なんでも近くにあって「夢の街だ!」と思いましたよ。

内村:そうですね。高校の3年間も、ずっと体操をしていた記憶ばかり残っています。学校が終わったら制服のまま体育館に直行し、夜の10時まで練習。土日は朝から練習でした。東京に来たのは強くなるためで、遊ぶためじゃない。それに、やっぱり体操が一番の遊びでしたからね。多分、それはこの先も一生変わらないと思います。

日本のお家芸ともいわれる体操競技。実は技の発展にも日本人選手の活躍が関係しています。10点満点の採点方式だった時代、難度の最高点は3.4点。C難度の技を最高とする配点になっていました。ところが、昭和30年代の国際大会で、日本人選手がC難度にひねりなどを加えた技を披露。C難度を超える技として「ウルトラC」と呼ばれるようになりました。これをきっかけに、難度の高い技の評価を上げる声が高まり、採点方式の改正が行われるようになりました。そして現在の採点方式にたどり着いたのは2009年でした。

24日に行われた体操男子予選で、内村航平(ジョイカル)が唯一の出場種目だった鉄棒で落下し、種目別決勝に進めなかったことについて、海外メディアもまさかの幕切れに反応した。

2021最新 内村航平 6連覇 海外の反応

2021最新 内村航平 6連覇 海外の反応

団体2連覇を狙う上で、ライバルとなるのは中国とROC(ロシア・オリンピック委員会)だろう。2018年は中国、2019年はロシアが世界選手権団体を制し、日本はいずれも3位だった。

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逆風にあえて、言葉を伝えたかった。感染対策で2000人に限定された観客からは、この日一番の拍手が起きた。2年ぶりの国際大会。「練習をうまくできない選手もいたり、試合がなくなった選手もほとんど。みんな久々に会い、その感情をこの大会にぶつけて化学反応が起きて、僕としては非常に良い大会だった」と高揚感もあった。観客にも背中を押された。その一体感に、思いが増した。

暗転した閉会式の会場で、スポットライトが内村を照らした。黒いマスク姿でも、引き締まった表情が分かる。この数カ月、思い悩み、伝えたいことがあった。東京大会を開くために設けられたこの大会、この場所しかないと思っていた。決意のスピーチだった。

個人枠で日本から出場するのは、鉄棒の内村航平とあん馬の亀山耕平だ。

24日に行われた体操男子予選で、内村航平(ジョイカル)が唯一の出場種目だった鉄棒で落下し、種目別決勝に進めなかったことについて、海外メディアもまさかの幕切れに反応した。

中国は正確な演技ができる肖若騰と「世界一美しい体操」と評価されている鄒敬園が中心。ROCはロシア国内で内村と同じく「キング」と呼ばれる、2018年世界選手権個人総合金メダルのアルトゥル・ダラロヤン、2019年世界選手権3冠のニキータ・ナゴルニーという2人の王者を揃えて、金メダルを狙う。

2021最新 内村航平 世界選手権 6連覇

2021最新 内村航平 世界選手権 6連覇

内村にとって、この5年間は「初めての挫折だった」。リオまでは自分の思い描く通りに全てが順調に進んでいた。ただ、うまくいかなくなったときこそ、人間としての強さも問われる。内村は栄光を極めた過去の自分と決別し、新しい自分と向き合うことで、その挫折を乗り越えた。4大会出場することは「諦めが悪く、心の底から体操が好きな人しか到達できない領域」と語っていたが、内村というアスリートの本質も「諦めない」「心の底から体操が好き」という言葉に集約されている。

24日に行われた体操男子予選で、内村航平(ジョイカル)が唯一の出場種目だった鉄棒で落下し、種目別決勝に進めなかったことについて、海外メディアもまさかの幕切れに反応した。

逆上がりや、でんぐりがえしができるようになるには、親が手出しをしてできることではなく、子どもにとっては初めて自分と向き合い、歩き始めの第一歩と同じように自分で克服しないと達成できないことのように思います。「体操との出会いが子どもたちにもたらすものとは?」世界のトップに立つ内村航平選手に聞きました。

前日の予選では15.766と世界最高得点をたたき出したが、疲労や、ここまで4月から4回の演技を重ねてきた緊張感の維持も困難だったはずだ。H難度の「ブレトシュナイダー」、G難度の「カッシーナ」など離れ技を決めたものの途中、ひねり技で乱れてしまう。ミスを何とかカバーして着地したが、内村は「これでもう(五輪出場も)終わったなと思っていた」と、演技中も頭の中で減点を計算しながら五輪出場は消えた、と自分に失望したという。熾烈な争いを堂々続けてきたライバル、米倉にすぐに謝罪したのは、満足な演技ができず、ミスをしながら代表になった「ふがいない」思いからだ。

内村:所属先の社会人体操競技部の体育館が草加市にあったので、すぐ練習に行ける場所を第一条件に探しました。というか、僕の家探しの条件はずっとそれしかないんですよね。体育館まで車で15分以上かかるところは絶対に嫌です。移動している間に練習に臨む集中力が切れてしまいそうなので。ただ、高校のときもそうでしたが、結果的にどの街も暮らしやすかったと感じています。

演技後、内村は自信も見せた。

体操男子日本代表は、「(金5、銀4を獲得した)1964年の東京を超えるような大会にしよう」という意味を込めて「Beyond 1964」というスローガンを立てた。内村自身も団体優勝を目指していたリオでは「(団体で金メダルを獲得した)アテネの冨田洋之さんの着地を超えたい」とずっと言っていたが、それが無理であることを実感した。

フェンシング女子フルーレで、初出場の19歳、上野が全種目を通じて日本女子で過去最高の6位入賞を果たした。準々決勝で世界ランキング5位のキーファー(米国)に11-15で敗戦…

僕の長女は逆上がりが全然できなくて(笑)、教えてできるようになっても、後日やってみるとできない。残念ながら、どうも本人は好きではないらしいんです。でも、長女はその反面、恐竜が大好きで、毎日恐竜の図鑑を見ては目をキラキラさせて話しだす。恐竜の名前は100個とか200個とか言える。僕にとっての体操は彼女にとっては恐竜なのかもしれません。その好きな分野での経験を、人生を歩んで行く中で変換できればいいですよね。ただ、変換の仕方は大人が導いてあげないとわからないと思うので、それを教えてあげることも親の役目ではないかとも思っています。

うちむら こうへい 1989年生まれ。32歳。オリンピック3大会(2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ)に出場し、個人総合2連覇を含む7つのメダル(金メダル3、銀メダル4)を獲得。また、世界体操競技選手権でも個人総合での世界最多の6連覇を含む21個のメダル(金メダル10、銀メダル6、銅メダル5)を獲得している。国内大会ではNHK杯個人総合10連覇、全日本選手権個人総合でも10連覇を達成。プライベートでは8歳、5歳の女児の父。

―― では、2011年から6年間を過ごした草加はいかがでしたか?

「何かを超えるってやはり難しいんです。1964年の東京はそのときの東京ですし、2021年の東京は今回にしか出せないものがある。だから僕は今のこのチームで新しい歴史を築くような演技や、名場面を自分たちで作っていければいいんじゃないかと思います」